「敵は本能寺にあり (テレビドラマ)」の版間の差分

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→‎映画: 光妙寺三郎は明治26年9月26日に死亡しているので本人のわけがない。
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'''敵は本能寺にあり'''(てきはほんのうじにあり)は、[[江戸時代]]中期以後に書かれた[[軍記物]]『[[明智軍記]]』の中にある記述で、[[戦国時代 (日本)|戦国時代]]の[[武将]]・[[明智光秀]]が[[本能寺の変]]の際に発したとされる[[台詞]]。主君の[[織田信長]]より[[備中国|備中]]の[[毛利氏|毛利]]を攻めるように命じられていた光秀の軍勢は、討つべき敵は[[本能寺]]にいる信長であるとして、そのまま進路を東にとって京都の本能寺に向かった。後世に創作された言葉であると考えられているが、多くの小説の文中に使われており、この言葉をタイトルにした[[映画]]や[[ドラマ]]も作られた。当項目はその創作作品を紹介する。{{see also|本能寺の変|明智軍記}}
 
== 映画 ==
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* [[織田信長]]:[[田村高廣]]
* [[豊臣秀吉|羽柴秀吉]]:[[河津清三郎]]
* [[細川ガラシ|明智珠]]:[[岸惠子]]
* [[濃姫|お濃]]:[[瑳峨三智子]]
* [[森成利|森蘭丸]]:[[中村萬之助]]([[中村吉右衛門 (2代目)|中村吉右衛門]])