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その後[[マクドネル・ダグラス MD-80|MD80]]で定期便の運航を開始した。[[1984年]]末には[[リュブリャナ]] - [[ベオグラード]] - [[キプロス]]・[[ラルナカ]]航路に就航し国際線の運航を開始。1986年にはInexグループから独立し'''Adria Aviopromet'''に再改名。[[国際航空運送協会]](IATA)にも加盟した。
 
1990年に[[ユーゴスラビア社会主義連邦共和国|ユーゴスラビア]]から[[スロベニア]]の独立が住民投票で可決されたが、[[1991年]]独立宣言後の[[十日間戦争]]で[[ユーゴスラビア連邦軍]]空軍がアドリア航空の[[ハンガー]]を爆撃、旅客機4機に損害を与えた。その後、アドリア航空はスロベニアの「[[フラッグ・キャリア]]」となり、チャーター便より定期航路の運営を中心とする経営合理化策を開始。1996年2月からスロベニア政府100%所有の国有企業となった。また同年、[[ルフトハンザ航空]]との提携も開始。1997年からは[[ボンバルディア CRJ|CRJ200LR]]を追加し小型機での運営を増加した。
 
1990年代後半には[[リュブリャナ空港]]をハブとして[[サラエボ]]、[[スコピエ]]、[[オフリド]]、[[ティラナ]]、[[プリシュティナ]]など[[バルカン半島]]各地を西欧と結ぶ路線に就航。