「拓跋鬱律」の版間の差分

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[[321年]]、[[東晋]]の[[元帝 (東晋)|元帝]]が代国へ使者を送り爵位を与えたが、拓跋鬱律はこれを断った。拓跋鬱律には、南方を平定しようという志があった。
 
伯母の惟氏<ref>魏書では祁氏と記載される。</ref>([[拓跋猗イ|'''拓跋猗㐌''']]の妻)は、拓跋鬱律が部族の心を得て、その勢力が強大である為、自らの子が後継に立てられない事を恐れた。彼女は、拓跋鬱律と諸大人を殺し、死者は数十人に及んだ。その死後は惟氏祁氏の子、[[拓跋賀ル|拓跋賀{{zh|&#20617;}}]]が即位した。
 
== 宗室 ==
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== 参考文献 ==
*『[[魏書]]』(帝紀第一、列伝第一、列伝第二)
*『[[資治通鑑]]』(巻九十・巻九十一)
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
{{先代次代|[[代 (五胡十六国)|代王]]|第4代:317年 - 321年|[[代王 (三代)]]|[[拓跋賀ル|拓跋賀{{zh|&#20617;}}]]}}