「保倉幸恵」の版間の差分

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→‎来歴・人物: 死因についてできる限り真実を伝える事が残されたものの責務。
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== 鉄道自殺 ==
女優業を休止して療養中だった1975年7月8日午前5時55分、[[東京都]][[大田区]]の自宅近くにある[[東海道本線]]大森〜蒲田間の[[跨線外川田人道]]において1.2mの柵を越えて8m下の線路に飛び降り、そこを通りかかった[[横須賀線]]久里浜発東京行きの普通列車に轢かれて即死した。{{没年齢|1953|4|5|1975|7|8}}。
高速列車に轢かれたために事故現場は凄惨で、遺体は顔面が完全に粉砕され、胴体も手足が轢断して四方八方にバラバラに飛び散るなど損傷が酷かったと言う。加えて身元を証明出来る所持品が一切無かったことから警察は身元確認に手間取り、当初は身元不明人として[[荼毘]]に付された。その後、家族からの捜索願や着用していた衣類、[[血痕]]などから自殺者が保倉であることが判明したのは7月10日になってからであった。保倉の自殺の動機については母親の病気の介護やノイローゼからくる情緒不安定など諸説あるが、遺書が無かったため現在に至るまで不明である。女優として順風満帆な活躍としていると思われていた矢先の突然の自殺だったことから、当時は「謎の自殺」と騒がれた。