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== 概要 ==
[[江戸時代]]には「日本三奇橋」<ref>他に三奇橋を称する橋には、[[神橋]]([[栃木県]]大谷川)、[[愛本橋]]([[富山県]][[黒部川]]、非現存)、[[木曽の桟]](長野県)、[[錦帯橋]](山口県[[岩国市]])、[[かずら橋]]([[徳島県]]祖谷)がある。</ref>の一つとしても知られ、[[甲州街道]]に架かる重要な橋であった。猿橋は現在では人道橋で、上流と下流にそれぞれ[[山梨県道505号小和田猿橋線]]と[[国道20号]]で同名の[[新猿橋]]がある。長さ30.9メートル、幅3.3メートル<ref name="大月市観光協会">{{Cite web |url=http://otsuki-kanko.info/see/4.html |title=甲斐の猿橋 |work=大月市観光協会ウェブサイト |publisher=大月市観光協会 |accessdate=2017-01-04}}</ref>。水面からの高さ31メートル{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|p=73}}。深い谷間のために橋脚はなく、鋭くそびえたつ両岸から四層に重ねられた「刎木(はねぎ)」とよばれる支え木をせり出し、橋を支えている<ref name="大月市観光協会"/>{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|p=73}}
 
== 構造 ==
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所在する猿橋町猿橋は桂川とその支流・葛野川の合流地点の付近に位置し、一帯は甲斐国と[[武蔵国]]・[[相模国]]の交通拠点である。江戸時代には猿橋村が成立し、甲州街道の宿駅である猿橋宿が設置された<ref>『山梨県の地名』、pp.118 - 119</ref>。
 
猿橋架橋についてされた年代不明だが、地元の伝説によると、古代・[[7世紀]]推古天皇610年ごろ(別説では奈良時代)に[[百済]]の[[渡来人]]で造園師ある[[路子工#山梨県猿橋との関連|志羅呼]](しらこ)が猿が互いに体を支えあって橋を作ったのを見て造られたと言う伝説がある<ref name="大月市観光協会"/>{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|p=74}}<ref>『山梨県の地名』、p.118</ref>。「猿橋」の名は、この伝説に由来する{{sfn|ロム・インターナショナル(編)|2005|p=74}}
 
[[室町時代]]には、『[[鎌倉大草紙]]』によれば[[関東公方]]の[[足利持氏]]が敵対する甲斐の[[武田信長]]を追討し、持氏が派兵した[[一色持家]]と信長勢の合戦が「さる橋」で行われ、信長方が敗退したという<ref>『山梨県の地名』、p.118</ref>。[[文明 (日本)|文明]]19年([[1487年]])には[[聖護院道興]]『[[廻国雑記]]』において、道興が[[小仏峠]]を越えて当地を訪れ、猿橋の伝承と猿橋について詠んだ[[和歌]]・[[漢詩]]を記録している<ref>『山梨県の地名』、p.119</ref>。
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* 『日本歴史地名大系19 山梨県の地名』平凡社、1995年
* 丸島和洋『中世武士選書19 郡内小山田氏 武田二十四将の系譜』戎光祥出版、2013年
*{{Cite book |和書 |author=ロム・インターナショナル(編) |date=2005-02-01 |title=道路地図 びっくり!博学知識 |publisher=[[河出書房新社]] |series=KAWADE夢文庫|isbn=4-309-49566-4|ref=harv}}
 
== 関連項目 ==