「普通学校用諺文綴字法」の版間の差分

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1446年に[[李氏朝鮮]]において[[ハングル]]が[[訓民正音]]の名で頒布されて以降、ハングルのつづり字は成文化された正書法を持たず、慣習的に行われてきた。近代に入り[[大韓帝国]]期の1907年には学部(教育を司る官庁)に国語研究所が設置され、朝鮮語の正書法の整備が進められたが、1910年(明治43年)の[[韓国併合]]によりその事業は[[朝鮮総督府]]に受け継がれることとなった。
 
朝鮮総督府では韓国併合後、普通学校(朝鮮における初等教育機関)での朝鮮語教科書に用いるハングルのつづりを整理・統一する目的で綴字法を定めることにした。作業では[[国分象太郎]]・塩川一太郎・新庄順貞・[[高橋亨 (朝鮮学者)|高橋亨]]・姜華錫・魚允迪・兪吉濬・玄{{lang|ko|櫽}}らが委員となり、1911年(明治44年)7月28日から11月にかけて5回の会議を行ない、1912年(明治45年)4月に綴字法を確定させた。
 
この正書法はその後、1921年(大正10年)に「普通学校用諺文綴字法大要」として改訂される。