「トヨタ・トヨエース」の版間の差分

→‎初代: 画像からもエンブレム・ライト周りはクロームメッキの部品が使われている。 http://www.toyota.co.jp/Museum/data/magazine66/magazine66_6.pdf >クロームメッキ部品などを極力少なくし、
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(→‎初代: 画像からもエンブレム・ライト周りはクロームメッキの部品が使われている。 http://www.toyota.co.jp/Museum/data/magazine66/magazine66_6.pdf >クロームメッキ部品などを極力少なくし、)
 
=== 初代 ===
[[ファイル:1956 Toyota Toyoace 01.jpg|thumb|220px|初代トヨペット・トヨエース。クロームメッキ皆無部品は少なく、フロントグリルは金属板打ち抜きという簡素設計である]]
[[ファイル:1956 Toyota Toyoace 02.jpg|thumb|220px|初代トヨペット・トヨエース(リア)。当時、後部ブレーキランプは1灯でよく、方向指示器は車体前方の腕木式のみで済まされている]]
 
:最大の特徴は、従来の[[ボンネット (自動車)|ボンネット]]型ボディに代わり、エンジンルームを運転席足元に侵入させた[[セミキャブオーバー]]・レイアウトを採用し、在来[[シャシ (自動車)|シャシ]]のままで荷台の延長を実現したことにある。当時の小型車規格一杯の4.3m級ボディで、2.5m(8尺強)の荷台長さを確保し、在来のボンネットモデル・SK型に比して約26%の荷台面積拡大を実現している。セミキャブオーバー型となったことで、エンジンの整備や脱着に不便を来たすことが予想されたため、[[フレーム形式 (自動車)|フレーム]]にスライドレールを設け、エンジンを前方に引き出すユニークな構造を採用した。
 
:このボディは極めて簡素な設計で、クロームメッキ一切部品を極力少し、ガラスは全面に渡り平面ガラスのみ、と生産性を重視した機能本位なスタイルが貫かれた。内装も最小限の簡易なもので、2座のシートは[[シトロエン・2CV]]ばりのパイプ枠にゴムひもで吊られた布を張った[[ハンモック]]シート、遮熱は[[石綿]]吹きつけ加工のみと、いずれもローコストに機能を実現することに徹したものであった。質素ではあったが、基本構造は実績のある在来型踏襲であり、機能面は充分な水準に達していた。
:幅員からすれば、ベンチシート型として、より利便性の高い3人乗りとすることも可能ではあったが、運転台中央部足下にエンジンフードが侵入しており中央着座が難しかったため、2座で妥協された。1953年当時、競合するオート三輪は、車体中央・エンジン上に配置されたサドル型シートの左側に、ほぼ吹きさらしの小さな補助席を設けただけの幌屋根・ドアなし2人乗り仕様が大半で、その補助席乗員の転落事故も珍しくなかった。それを考慮すれば、完全2座・ドア付き鋼製クローズドキャビンのSKB型は遙かに上等で、当時では敢えて3人乗りとするまでもなかった。
:SKB型トラックは1954年9月に発売されたものの、当初の売れ行きはさほど良くなかった。スタンダードな後方1方開き仕様は定価62万5000円(東京地区店頭渡し)で、このクラスの四輪トラックとしては相当に廉価であったが、当時1t積みオート三輪の価格は45万円程度で、価格で比較されると直接競争できなかったのである。加えて当時は[[朝鮮戦争]]休戦後の不況期でもあった。発売翌年の1955年になってもSKBの月産台数は200台程度と低迷していた。
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