「T-33A入間川墜落事故」の版間の差分

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T-33シリーズは、世界30か国以上で採用され多くの[[軍用機]]パイロットを輩出した練習機の[[ベストセラー]]であり、航空自衛隊でもT-33Aによる中等訓練を経て2,000名以上のパイロットが輩出されている。
 
一方、[[試作機]]の初飛行は[[第二次世界大戦]]直後の[[1948年]]であり(原型機の[[F-80 (戦闘機)|F-80]]の初飛行は1944年)、[[航空工学]]の発展途上で設計された機体であるため搭載しているのはアナログ計器だけのコックピットと旧式化していた[[遠心式圧縮機|遠心式]]エンジンであった。そのためパイロットにとっては高度化した[[アビオニクス]]や[[グラスコックピット]]が導入されたT-4や主力戦闘機よりもT-33Aは操縦が難しかったといわれる。特に着陸では安全に接地可能な速度域が95~100kt95~100[[ノット (単位)|kt]]と極めて狭いため、高い技量を求められる。また、脚下げ時に機体が左に滑る特性があるといわれ<ref>[http://www.tac-photo.com/impression.htm TAC Photography 『Pilot Impresion』]</ref>、コックピット内の煙や脚下げ後の[[降着装置]]による[[空気抵抗]]に加えてそのような機体特性が墜落直前の操縦を一層困難にしていた可能性がある。
 
墜落した機体([[機体番号]]:51-5648、[[製造番号]]:580-9186)は航空自衛隊が発足した[[1954年]](昭和29年)に[[ロッキード]]で生産され、同年に[[米軍]]から無償供与を受けたものであり、航空自衛隊が保有する中でも特に古いものであった。[[川崎航空機工業]]などによる[[ライセンス生産]]開始に伴い、一時余剰機として[[岐阜基地]]の[[航空自衛隊第2補給処|第2補給処]]で[[モスボール (軍事)|モスボール]]保管されていたが、後に配備されたライセンス生産機の退役に伴い再度整備のうえ復帰し、年次飛行や[[連絡機|連絡任務]]等に使用されていた。当機の耐用命数は1,068時間残っており<ref name=":1" />、[[2002年]]まで運用して耐用命数を使いきって退役を迎える予定であった。
 
なお、当時航空自衛隊が運用していた同型機(当機含めて9機)はいずれも1954年から1955年にかけて米軍から無償供与されたものであり、航空自衛隊で最も初期に導入された機体のほうがモスボール保管により損耗が抑えられ最後まで残るという逆転現象が起きていた<ref>[http://www.checking-six.com/topics/001/outline.html CHECKING SIX!!『20世紀の傑作シリーズvol.01』]</ref>。