「ヤマハ・DXシリーズ」の版間の差分

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1998629ta (会話 | 投稿記録)
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== シリーズのモデル ==
; DX7
: 日本楽器製造(現・ヤマハ)が[[1983年]]5月に発売したDXシリーズ初のシンセサイザーでもあり世界初のフルデジタルシンセサイザーでもある。「歴史的」「世界的」に名機として1,980年代当時の音楽シーンに一大シンセサイザーブームを巻き起こしたシンセサイザーだった。61鍵、フルデジタルシンセサイザーで、6オペレータ32アルゴリズムのFM音源を採用していた。それまでの[[アナログシンセサイザー]]が苦手としていた[[ベル]]やエレクトリックピアノなどの金属的な音色を出すことができ、最大同時発音数も16音<ref name = "gakki" />と、当時としては桁違いに多かった(当時の主流は6 - 8音程度)。音源処理のデジタル化で完全に後れを取った他社は追いつくのに数年を要した。液晶ディスプレイを配置し、音色の名前を表示したり、エディット中のパラメータを指定し数値で確認したりという現在では当然のような機能を実現していた。使用鍵盤は、FS鍵盤と呼ばれる、プラスチックとバネと錘で構成されたセミウェイト鍵盤をシンセサイザーで初めて採用し、打健の強弱のつけやすさも追求された。このFS鍵盤は、後に[[ヤマハ・MOTIFシリーズ|MOTIF ES]]まで20年間採用され続けるロングセラーとなった。さらに、また規格が誕生して間もない[[MIDI]]に対応しており音源部を持たない軽量なショルダーキーボードの[[ヤマハ・KXシリーズ|KX1やKX5]]と繋げた使い方なども提示された。当時としては画期的な仕様でありながら、24万8千円<ref name = "gakki" />と低価格だったためアマチュアからプロシーンまで一躍ヒットモデルとなった<ref name = "gakki" />(ちなみに、当時プロシーンで使われていた代表的なキーボードで、[[ローランド]]のジュピター8は98万円、[[シーケンシャル・サーキット]]の[[シーケンシャル・サーキット プロフェット5|プロフェット5]]は170万円もした)。また、あまりの大ヒットモデルとなったことと、その後のユーザー要望(音色メモリー数を多くしてほしい、液晶表示部にバックライトをつけてほしい、イニシャルタッチの幅を128段階のフルスケールにしてほしい…等)が強かったことからサードパーティ製の改造用キットも数多く発売され、発売元であるヤマハからも[[MSX]]仕様のミュージックPCである[http://jp.yamaha.com/product_archive/music-production/cx5/ CX5]やPC画面上で音色がエディットできるヴォイシングプログラムROM(YRM-13)が発売されるなど周辺機器が数多く発売された。本モデルの成功は、同業の他社メーカーを刺激し、結果としてデジタルシンセサイザーを急激に一般化させた。このことは低価格帯の電子楽器が市場に多く発表されることにつながり、その後の日本のバンドブームの礎となったことを始め、MIDI接続による電子楽器の使い方やパソコンとの応用の一般化、さらには現在にも続く音楽制作のありかたへの重大なトピックであったことも功績に数えられる。また、内蔵メモリー以外にも専用ROMカートリッジをスロットに挿入することで外部からの音色の呼び出しが可能となっており、メーカー純正(発売元は財団法人ヤマハ音楽振興会)のVoice ROM(全12種類)や[[リットーミュージック]]等の音楽出版社から本機を使用するミュージシャン(例:[[坂本龍一]]・[[向谷実]])が音色の監修をしたROMが販売された。このような「音色が商品になり得る」という概念を作り上げたのも本機の功績のひとつである。なお、作成した音色データの保存には専用RAMカートリッジ(RAM1)を使用する。同カートリッジは、品番はRAMを銘打っているが、内蔵メモリはEEPROMとなっており(DX7本体に装着され電圧が[[印加]]されているときはRAMとして、そうでないときはROMとしてそれぞれ機能する)、後述のRAM4とは異なりデータの保持に電池を必要としない。RAM1又は専用ROMカートリッジ装着時の同時発音数は、2倍の32音となる。一方、パラメーターが膨大すぎて、ユーザーが自ら音色をエディットして満足のいく結果を得ることが困難だったことから、プリセット音色が使われることが多く、結果として似たような音色が氾濫し、音色の没個性化を招く結果にもなった。また、それまでのアナログ音源では出ない音色を作成することはできたが、逆にアナログ音源のような分厚い迫力のある音色は出にくかった。[[モーグ・シンセサイザー#ミニモーグ|ミニモーグ]]のようにリアルタイムにパラメーターをいじりながらの演奏は事実上不可能だった。ブレスコントローラーはあるにはあったがほとんど普及しなかった。ただしそれを補う優秀なタッチレスポンスによる音色変化を装備していた。さらにDX7のモジュール版であるTX7をMIDIで繋げるとDX1、DX5と同等なサウンドと機能などを実現できた。
; DX9
: [[1983年]]5月発売。同時発売されたDX7の[[廉価版]]。DX7と筐体を同じにした61鍵、16音ポリフォニックだったが、オペレーター部を4に減らし、イニシャルタッチも省略されていた。上位機DX7が抜群にコストパフォーマンスが良かったため、価格差わずか6万円(価格18万8千円)の廉価版という存在は霞み、DX7ほどの人気は得られなかった。4オペレーターモデルながらエンベロープを6オペレーターモデル同様の方式で設定できたレアモデル。