「ヤップ島」の版間の差分

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1898年、同島のドイツ人監督官がある村の住人に、補修を要する[[道路]]の工事に出てくることを命令した。しかし村人たちは面倒くさがって作業に出なかったので、監督官は村人の資産を差し押さえた(具体的には、村の石貨にペンキで×印をつけた)。財産を取り上げられて驚いた村民は、直ちに作業に出てきて働いた。作業完了後、監督官はペンキの印を消し、村民に石貨を返してやった。
 
ヤップの石貨には、古代に石器で切り出してパラオから航海カヌーで運んで来たものと、1872年から1901年にかけて[[デービッド・ディーン・オキーフ]]という[[アイルランド]]系アメリカ人が機械で切り出して機帆船で持ち込んだものがあり、前者のほうが価値が高いとされている。また1990年代に日本のNPO「[[アルバトロス・クラブ]]」が[[マウ・ピアイルック]]の協力を得てパラオから航海カヌーで石貨を運ぶ実験を行い、その時に運ばれた石貨をヤップの酋長に寄贈している。
 
==交通==