「自己愛性パーソナリティ障害」の版間の差分

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[[三島由紀夫]]は対人関係に過敏で、貴族的な選民意識を持ち、妥協を許さぬ完璧主義者であった。祖母に溺愛され、母との情緒的な繋がりを持ちにくかった三島は、幼い頃にはケガをすると危ないという理由で女の子だけを遊び相手に選ばれている。この体験が彼の[[バイセクシュアル]]という指向性に影響を与えたかもしれない。文壇デビュー当時の思うように売れない時期から、基底にある自己不確実感を覆い隠すように[[ボクシング]]や[[ウェイトリフティング]]という肉体鍛錬に没頭した。またそのうるわしい肉体とは対照的に、取り巻きなしでは飲食店に入ることすらできないという過敏性を示している<ref>[[#岡野憲一郎 (1998)|岡野憲一郎 (1998)]] p. 29.</ref>。その後数々の傑作を生み出し隆盛を極めたものの、40歳にもなると肉体的な老いを感じずにはいられなくなり、痩せ衰えることを極度に恐れた。やがて国家主義的思想に自らの在り方を重ねていった三島は、劇的な[[自殺|自決]]により、美を保ったまま自らの人生に幕を下ろした<ref>{{Cite journal|和書 |author=中広全延 |title=三島由紀夫に関する病跡学的試論 |volume= |issue=41 |year=2012 |journal=夙川学院短期大学研究紀要 |pages=35-45 |url=http://www.shukugawa-c.ac.jp/wp-content/uploads/2013/11/bulletin201203_6.pdf }}</ref>。
 
[[太宰治]]は慢性的な虚無感や疎外感を抱えていた。安定している時期は自己愛的性格だったが、不安定時は感情統制が困難で境界的な特徴を示し、[[芥川賞]]を逃した時の怒りは常軌を逸していたという。感受性が強く、なおかつ高い知能を持っていた太宰が[[オキシコドン|パビナール]]依存に陥ったのはごく自然な成り行きだったのかもしれない。また、離人感や自殺念慮も有しており、[[自殺]](心中)未遂を繰り返し、5回目で自殺完遂に至った。28歳の時には[[精神科|精神科病院]]である江古田の[[東京武蔵野病院]]へ入院している<ref>[[#町沢静男 (2005) |町沢静男 (2005) ]] pp.151 - 175</ref>。
 
[[サルバドール・ダリ]]は様々な[[精神障害]]の特徴を示しているが、その中核にあるのは歪なナルシシズムである。自らを[[天才]]と言って憚らない自己顕示性と、奇矯な振る舞いの背後には、ありのままの自分を認められずに過ごした生い立ちが関係している。ダリには同じ名前の兄がいたが、2歳でその人生を閉じており、ダリはその兄の写真を見る事を極度に恐れた。両親の目の奥に、自分ではなく、死んだ息子への不毛な愛情を感じていたからである。生涯にわたって自己喧伝の衝動に囚われ続けたダリは、『私は自分自身に証明したいのだ。私は死んだ兄ではない、生きているのは私だ、と』と綴っており、愛情面の傷つきからくる繊細な感性と、誇大的とも言える自信は、創造的な営みの原動力となった<ref>[[#岡田尊司 (2004) |岡田尊司 (2004) ]] pp. 110 - 126</ref>。