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この[[霜月騒動]]と呼ばれる内乱の結果、平頼綱が実権を握り、泰盛を支持した幕府草創以来の有力御家人の多くが没落して得宗被官の[[長崎氏]]や文官の[[二階堂氏]][[長井氏]]が政治の中心となる。
 
頼綱は霜月騒動の7年後、[[平禅門の乱]]で貞時によって滅ぼされた。霜月騒動で失脚した御家人たちも徐々に復帰し、安達一族も泰盛の弟・[[安達顕盛|顕盛]]の孫である[[安達時顕]]が安達家の家督を継承している。頼綱滅亡の翌年には騒動の罹災者の復権が進んだが、時顕が[[文保]]元年([[1317年]])に霜月騒動で討たれた父・[[安達宗顕|宗顕]]の33回忌供養を行った際の記録には、その頃まで泰盛の供養がタブーであった事が記されている。
 
== 人物 ==
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