「ディビッド・ジェームス」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
Mashir43 (会話 | 投稿記録)
m 仮リンクのリンク先修正・内部リンク化。一部enlinkの仮リンク化。
50行目:
=== クラブ ===
==== ワトフォード ====
[[ハートフォードシャー|ハートフォードシャー州]][[ウェリン・ガーデン・シティ]]に生まれ[[ルートン・タウンFC]]のサポーターとして育った<ref>[http://www.theguardian.com/football/blog/2009/aug/16/david-james-portsmouth-takeover-finances "How on earth did Portsmouth get into this mess?"]</ref><ref>[http://www.mirror.co.uk/sport/football/david-james-says-englands-world-1701210 "David James says England's World Cup base left no room to relax"]</ref>ジェームスは、学校を卒業後にルートン・タウンの[[w:en:Luton Town F.C.–Watford F.C. rivalry|ライバル]]である[[ワトフォードFC]]の下部組織に入団し、1989年に[[FAユースカップ]]の優勝に貢献<ref>[http://www.dailymail.co.uk/sport/football/article-566887/Pompeys-James-jolly-green-giant-lends-hand-cutting-carbon-footprint.html "Pompey's James the jolly green giant lends hand to cutting the carbon footprint"]</ref>。その活躍から同年トップチームに引き上げられ、正GKの[[{{仮リンク|トニー・コトン]]([[:|en:|Tony Coton|en]])}}が移籍したことで1990年8月25日に[[ミルウォールFC]]とのリーグ戦(1-2)でプロ初出場を飾り<ref>[http://www.bristolpost.co.uk/Coppell-Capello-David-James-gives-verdict-exclusive-Banter-interview-Bristol-City-s-new-star-goalkeeper/story-11251314-detail/story.html "Coppell or Capello? David James gives his verdict and much more in this exclusive Banter interview with Bristol City's new star goalkeeper"]</ref>、また、[[サッカーアイルランド共和国代表|U-21アイルランド]]との試合に向けてU-21代表に招集されている。同カテゴリーで計10試合に出場した。
 
2季在籍したワトフォードでは89試合に出場し、特に1990-91シーズンはデビュー年でありながらリーグ戦全試合に出場してチームの3部への降格を防ぐことに貢献。同クラブの最優秀選手に選出された。さらに、翌1991-92シーズンはリーグの[[PFA年間ベストイレブン|ベストイレブン]]に選出される等、早速頭角を現した。これらの活躍が評価され、2008年にクラブの殿堂入りを果たしている。
59行目:
リヴァプールの7季で公式戦277試合に出場<ref name=liverpool />し、[[FAプレミアリーグ1994-1995|1994-95シーズン]]に[[フットボールリーグカップ]]優勝に貢献<ref>[http://www.lfchistory.net/Articles/Article/1431 "McManaman conjures up Cup win"]</ref>、[[FAプレミアリーグ1995-1996|1995-96シーズン]]では[[PFA年間ベストイレブン]]に選出される等、正GKとして活躍を見せた。しかし、その一方で時折信じられないようなミスを犯すことから惨事や疫病神を意味するカラミティに掛けてカラミティ・ジェームス(Calamity James)と不名誉な渾名を獲得<ref>[http://www.theguardian.com/football/blog/2009/sep/01/england-goalkeeper-options-world-cup-2010 "Age is no calamity for David James while doubts exist about his rivals"]</ref>し、また、1997年の[[ニューカッスル・ユナイテッドFC]]戦で3失点を喫した後に「テレビゲームをするのに何時間も夢中になりすぎていたことで調子を崩した」との言い訳が後年になっても語り継がれた<ref>[http://www.espn.co.uk/espn/sport/story/73074.html "Top ten sporting excuses"]</ref><ref>[http://www.telegraph.co.uk/sport/football/5786306/Top-10-bizarre-football-injuries-to-rival-childs-play-of-Liverpool-defender-Fabio-Aurelio.html "Top 10 bizarre football injuries to rival child's play of Liverpool defender Fabio Aurelio"]</ref>。そのミスが度重なったことで[[FAプレミアリーグ1996-1997|1996-97シーズン]]の開幕戦を含めて度々[[ブラッド・フリーデル]]にポジションを奪われるようになり、1999年4月の[[レスター・シティFC]]戦を最後にリヴァプールでの出番はなく、これが退団に繋がった<ref>[http://www.liverpoolfc.com/news/have-you-seen/100pwstk-88-david-james "100PWSTK: 88. David James"]</ref>。
 
また、[[{{仮リンク|ロイ・エヴァンス]]([[:|en:|Roy Evans|en]])}}監督率いる1990年代のリヴァプールは、試合に勝利することよりもパーティーに重点を置いていると主張する人々により、[[スティーブ・マクマナマン]]、[[ジェイミー・レドナップ]]、[[ロビー・ファウラー]]らと共に[[スパイス・ガールズ]]にちなんで[[w:en:Spice Boys (footballers)|スパイス・ボーイズ]]と揶揄されており、特に1996年の[[FAカップ]]決勝で自身がモデルを務める[[アルマーニ]]の白スーツを着用して登場し、「我々は優勝カップを掲げるベストドレッサーチームになるだろう」と言い放ったことがイメージを明確にさせた<ref>[http://www.independent.co.uk/sport/football/fa-league-cups/james-suited-to-dressing-down-for-spice-boys-reunion-party-829975.html "James suited to dressing down for 'Spice Boys' reunion party"]</ref>。なお、[[ノースウェスト・ダービー|ライバル]]である[[マンチェスター・ユナイテッドFC]]との決勝戦は[[コーナーキック]]からのボールを弾くも、クリアしたボールが[[エリック・カントナ]]の下へと転がって渡ってしまい決勝点を挙げられた<ref>[http://www.goal.com/en-gb/slideshow/1670/5/title/top-10-manchester-united-v-liverpool-clashes "May 1996: Liverpool 0-1 Man United"] goal.com</ref>。
 
==== アストン・ヴィラ ====
70行目:
[[FAプレミアリーグ2003-2004|2003-04シーズン]]はウェストハムで[[フットボールリーグ・チャンピオンシップ|2部]]の舞台を戦う中、現役引退した[[デビッド・シーマン]]の代役として、2004年1月14日に移籍金200万ポンドで[[プレミアリーグ|1部]]の[[マンチェスター・シティFC]]と2年半契約を締結<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/m/man_city/3394151.stm "James seals Man City deal"]</ref>。リヴァプール時代の同僚で「スパイス・ボーイズ」の一員だったファウラー、マクマナマンと再会を果たしたことでにわかに注目を集めた<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/3395771.stm "Keegan splashes on old spice"]</ref>。1月17日にホームでの[[ブラックバーン・ローヴァーズFC]]戦(1-1)で初出場を飾って<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport1/hi/football/eng_prem/3385507.stm "Man City 1–1 Blackburn"] BBCスポーツ</ref>以降、シーズン終了までチームは僅か4勝しか挙げられない苦しい状況の中で全17試合に出場し、[[レスター・シティFC]]戦(1-1)<ref>[http://www.theguardian.com/football/2004/apr/25/match.leicestercity "Dickov miss leaves Leicester on the brink despite fighting spirit"]</ref>と[[ウルヴァーハンプトン・ワンダラーズFC]]戦(3-3)<ref>[http://www.theguardian.com/football/2004/apr/11/match.sport6 "Keegan's men keep Wolves from door"]</ref>でペナルティーキックを防ぐ活躍を見せて勝ち点獲得に貢献。このPKストップの鍵に成功率を上げるため、スポーツ心理学の分野を探求したことを明かした<ref>[http://www.theguardian.com/sport/2008/mar/30/football.comment "Goalkeeper's fear of the penalty? Not for me"]</ref>。
 
翌[[FAプレミアリーグ2004-2005|2004-05シーズン]]の最終日に[[ミドルズブラFC]]と{{仮リンク|[[UEFAカップ2005-06|en|Franck Queudrue}}]]出場権を掛けての直接対決で先発出場したジェームスは、試合残り5分の所でシティの[[スチュアート・ピアース]]監督がミッドフィルダーの[[クラウディオ・レイナ]]に代わり控えゴールキーパーの[[{{仮リンク|ニッキー・ウィーバー]]([[:|en:|Nicky Weaver|en]])}}を投入したことによりフィールドプレイヤー、それもフォワードを任されることとなった。[[ロスタイム]]にジェムースへ向けてのクロスを[[{{仮リンク|フランク・キュードリュー]]([[:|en:|Franck Queudrue|en]])}}が手で触れたことでペナルティーキックを獲得し、この奇策はほぼ目論見通りにいくかに思われたが、PKキッカーを務めたファウラーのボールを[[マーク・シュワルツァー]]に防がれてしまい引き分けとなり、最終的に国際舞台への道は絶たれた<ref>[http://www.telegraph.co.uk/sport/football/2359695/City-pay-the-penalty-for-Fowler-miss.html "City pay the penalty for Fowler miss"]</ref><ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_prem/4525109.stm "Man City 1-1 Middlesbrough"] BBCスポーツ</ref>。
 
==== ポーツマス ====