「ヘルベルト・フォン・カラヤン」の版間の差分

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== 音楽 ==
同じく戦後派の指揮者[[カール・ベーム]]は、カラヤンは自分の求める響きが出るまで辛抱強く楽団員を説得していたと述べている(ベームは正反対)<ref>ドイツ「シュテルン」誌、1981年8月20日号 </ref>。[[レガート]]を徹底的に使用し、[[ヴァイオリン|高弦]]を鋭くさせ、([[1960年代]]後半から)コンサート・マスターを2人おき、[[コントラバス]]を最大10人と大型化することにより、オーケストラの音響的ダイナミズムと、室内楽的精緻さという相反する要素の両立を実現した。どんなに[[金管楽器|金管]]が鳴っていても、内声や[[ヴァイオリン属|弦パート]]がしっかり鳴っていなければならないことや、低音パートがいくらか先に音を出すことなどを要求した。ライナー・ツェペリッツ(ベルリン・フィルの首席コントラバス奏者)は当時「(オーケストラが)これほどまでの音楽的充実感、正確性を追求できたことは未だかつてなかった。われわれは世界中のどのオーケストラにも優る、重厚で緻密なアンサンブルを手に入れたのだ」との発言を残している。一方で、一部の評論家からは音楽の音響面の美しさばかりを追求し作品の芸術的内容を軽視していると感じられたため<ref>音楽評論家の岩井宏之は「カラヤンは、いかにもスマートで美しい響きを生み出していたものの、作品の中に込められている作曲家その人の、あるいは当の作曲家が生きていた時代の"切なさ"を十分に表出するには至らず、したがって聴き手の心に迫ってくる力が弱かった。(中略)カラヤンがオーケストラに対すると、どんな作品であれ、美しく響かせること自体を目的にしているような趣があり、それが私には不満だった」と述べている(カール・ベーム指揮[[ウィーン交響楽団]][[フランツ・ヨーゼフ・ハイドン|ハイドン]]の[[四季 (ハイドン)|四季]]のCD <POCG-2328/9>のライナーノート、5頁)。</ref>、「音楽が[[大衆]]に媚びている」「音楽の[[セールスマン]]」などと批判されることもあった。しかし、カラヤンの正確さと完璧さの追求は[[レコード|LPレコード]]時代からその自己演出と相まって一定の評判を得ることに成功し、レコードのセールスと知名度の広がりの面で大きな成功を収めている。
 
細身の体を黒で統一された服装で包み、白い[[襟巻き|マフラー]]を長く垂らせたスタイルで[[スポーツカー]]や自家用[[ジェット機]]を自在に操る姿はダンディズムに満ち、既成の音楽家のイメージを一新させた。男性モード雑誌から抜け出したようなカラヤンのいでたちは、その作りだす音楽以外の要素でも人目を引いた。指揮者は本来、反射神経を要求する職業であるが、実際にはその激しい動作が笑いの種になってきた歴史があり、その滑稽さを皮肉る[[カリカチュア]]も[[19世紀]]以来無数に描かれ、フルトヴェングラーでさえも揶揄の対象にされてきた。そうした既成の概念を覆すように、カラヤンの動作はスマートで美しく洗練され、目を閉じ手を静かにウェイブする姿は神秘的にすら見せることに成功し、その雰囲気に酔う聴衆も多く存在するようになった。