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'''小塚 郁也'''(こづか いくや、[[1962年]] - )は、日本の[[国際安全保障]]研究者。[[防衛研究所]]政策研究部主任研究官<ref>{{Cite web|url=http://www.nids.mod.go.jp/research/profile/anzen/02-kozuka.html|title=研究者紹介|author=|publisher=防衛省防衛研究所|accessdate=2017-01-19}}</ref>。専門は、[[中東]]地域の国際関係および安全保障。
 
==略歴==
[[埼玉県]][[与野市]]生まれ。[[神奈川県立厚木高等学校]]卒業。1986年(昭和61年)[[早稲田大学]]政治経済学部政治学科を卒業後、旧[[東京銀行]]勤務を経て同大学院政治学研究科修士課程を1991年(平成3年)修了(政治学修士)。1992年(平成4年)防衛庁[[防衛研究所]]に入所後、中東の安全保障問題に関する研究および教育に従事。2002年(平成14年)[[ゴラン高原]][[国際平和協力隊]]に派遣され[[シリア]]の首都[[ダマスカス]]に赴任、同年[[国際平和協力本部]]長(内閣総理大臣)表彰を受賞。2012年に[[防衛大学校]]総合安全保障研究科後期課程を中退後、現職。
 
早稲田大学では故[[吉村健蔵]]教授の下で現実主義国際政治学を専攻し、学部時代から中東の安全保障問題を一貫して研究。[[1991年]][[湾岸戦争]]勃発と[[ソ連崩壊]]による[[冷戦]]後国際安全保障システムの激動を契機に、防衛研究所に入所して以来、[[2001年]][[9.11アメリカ同時多発テロ]]事件後の[[アフガニスタン紛争]]や2003年[[イラク戦争]]の際には、[[NHK]]等の報道番組への出演、新聞雑誌等を通じて地域情勢を解説。以後外務省や経済産業省からの委託研究プロジェクトや教育に複数参加、国内外の講演等で[[リアリズム]]に依拠した自説を展開している。
 
'''<big>主張</big>'''
 
・ イラク戦争の際には、小塚は短期間での米軍の勝利と首都[[バグダッド]]の陥落を主要メディアで主張した。だが、その後のイラクの政治および治安の長期的混乱を予想しておらず、自衛隊の派遣についても自己の海外派遣の経験と[[日米同盟]]強化の観点から肯定的な見解を述べた(『[[朝雲新聞]]』)。
 
・ 現在ではイラク戦争に関する自己の甘い見通しの反省により、単なる領域国民国家の安全保障を前提としたリアリズムや[[リベラル制度主義]]を脱却して、小塚は宗派や部族、民族に依拠する「[[共同体]]」の安全保障こそが中東安定化に必要であるとの見解に立っている。
 
・ したがって、第一次世界大戦中の1916年に秘密協定として締結された[[サイクス・ピコ協定]]以後英仏両国によって創設され、第二次大戦後アメリカによって引き継がれた領域国民国家に基づく中東安保体制は、IS([[IS]](イスラーム国)台頭とアメリカの撤退によって既に崩壊過程に入っていると小塚は考えている。そのため、[[イラク]]とシリアは領域[[主権国家]]としては存続できず、最終的には[[クルド人]]自治区を含む3つ、ないし4つの地域に分断されると予想する(「複合的危機に陥った中東の安全保障環境」ブリーフィング・メモ、''NIDS NEWS''、2016年6月号)。
 
'''<big>人物</big>'''
 
・ [[厚木高校]]では1年生の時に、小塚は個性派俳優として活躍している[[六角精児]](ろっかく せいじ)と同級生であった。
 
・ 早稲田大学政経学部在学中、小塚は個性的な大学公認サークルであった[[民族舞踊]]研究会に4年間所属。主に[[バルカン半島]]のフォークダンスを、日本女子大フォークダンス研究会とともに踊っていた。
 
'''<big>脚注</big>'''