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学生時代に[[アルバイト]]としてリングに上がった経験を持つ。[[1970年]]に[[カルガリー]]で[[スチュ・ハート]]の門下生となり本格的にプロレスを学び、同年7月に[[アンジェロ・モスカ]]を相手にデビュー(5分ほどで敗退)。その後[[ザ・シーク]]の元でもトレーニングを受けている。
 
若手時代は'''ベビーフェイス・ネルソン'''(''Baby Face Nelson'')や'''ジョニー・ファーゴ'''(''Johnny Fargo'')のリングネームを名乗り、[[アメリカン・レスリング・アソシエーション|AWA]]傘下のローカル・エリアや[[NWF]]、[[テキサス州|テキサス]]の[[アマリロ (テキサス州)|アマリロ]]地区などで試合をしていた。
 
[[1974年]]から[[エディ・グラハム]]の主宰する[[NWA (プロレス)|NWA]][[フロリダ州|フロリダ]]地区の[[チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ|CWF]]に移り、当初は'''ジョニー・バレンタイン・ジュニア'''(''Johnny Valentine, Jr.'')、後に'''グレッグ・バレンタイン'''(''Greg Valentine'')の名前で活動する。当時、父親の[[ジョニー・バレンタイン]]はまだ現役選手として第一線で活躍しており、父の意向から息子ではなく「弟」と称していた(息子がデビューするほどの年齢であることが公になると、自分の商品価値が下がってしまうとジョニーが懸念したため<ref>『THE WRESTLER BEST100』P229(1981年、[[日本スポーツ出版社]])</ref>)。
 
[[1975年]]2月に[[ロサンゼルス]]で[[エドワード・カーペンティア]]を破りNWAアメリカス・ヘビー級王座を獲得して注目を浴び、4月には当時[[ジャック・ブリスコ]]の保持していた[[NWA世界ヘビー級王座]]に初挑戦した。
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[[File:Rhythm and Blues tag team.jpg|thumb|right|[[ウェイン・ファリス|ホンキー・トンク・マン]](後方)とのタッグチーム、リズム&ブルース]]
[[1984年]]より、[[ビンス・マクマホン|ビンス・マクマホン・ジュニア]]の新体制下で全米侵攻を開始していたWWFに定着。[[ハルク・ホーガン]]の[[WWE世界ヘビー級王座|WWF世界ヘビー級王座]]に挑戦する一方、[[ティト・サンタナ]]と[[WWE・インターコンチネンタル王座|インターコンチネンタル・ヘビー級王座]]を巡り名勝負を繰り広げる。[[1985年]]からは[[ジョニー・バリアント]]を[[マネージャー (プロレス)|マネージャー]]に迎え、[[ブルータス・ビーフケーキ]]との'''ドリーム・チーム'''(''The Dream Team'')で活動。8月24日に[[バリー・ウインダム]]&[[マイク・ロトンド]]の[[USエクスプレス]]から[[WWE・世界タッグチーム王座|WWF世界タッグ王座]]を奪取し、翌[[1986年]]4月7日の[[レッスルマニア2]]において、[[ダイナマイト・キッド]]&[[デイビーボーイ・スミス]]の[[ブリティッシュ・ブルドッグス]]に敗れるまで戴冠した<ref name="wwe-t">{{cite web|url=http://us.wwe.com/inside/titlehistory/worldtagteam/|title=History of the WWE World Tag Team Championship|accessdate=2015-03-29|publisher=WWE.com}}</ref>。[[1989年]]には[[ジミー・ハート]]を新しいマネージャーに、[[ウェイン・ファリス|ホンキー・トンク・マン]]と'''リズム&ブルース'''(''Rhythm and Blues'')を結成し、[[ブレット・ハート]]&[[ジム・ナイドハート]]の[[ハート・ファウンデーション]]などと抗争した。[[1991年]]のWWF離脱後は[[WCW]]に参戦。[[1992年]]2月17日、[[テリー・テイラー]]と組んで[[ロン・シモンズ]]&[[マット・ボーン|ビッグ・ジョッシュ]]からUSタッグ王座を奪取している<ref name="wcw-us-t">{{cite web|url=http://www.wrestling-titles.com/wcw/wcw-us-t.html|title=WCW United States Tag Team Title|accessdate=2015-03-29|publisher=Wrestling-Titles.com}}</ref>。
 
その後インディー団体を転戦し、[[2004年]]に[[WWE殿堂]]に迎えられた(インダクターはジミー・ハート)。[[2008年]]3月31日には、[[WWE・ロウ|WWE・RAW]]にて行われたリック・フレアーの引退セレモニーに出席した。