「ノストラダムス」の版間の差分

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1557年には『ガレノスの釈義』(後述)を出版した。ノストラダムスは医師としての活動を縮小していたようだが{{sfn|ラメジャラー|田口|目羅 訳|1998|ref=Lemes|p=180}}、1559年の処方箋も現存している{{sfn|Lemesurier|2003|ref=ann|pp=114-115}}。
 
1559年6月30日、アンリ2世の妹[[マルグリット・ド・フランス (1523-1574)|マルグリット]]と娘[[エリザベート・ド・ヴァロワ|エリザベート]]がそれぞれ結婚することを祝う宴に際して行われた[[馬上槍試合]]で、アンリ2世は対戦相手の[[ガブリエル・ド・ロルジュ|モンゴムリ伯]]の槍が右目に刺さって致命傷を負い、7月10日に没した。現代では、しばしばこれがノストラダムスの予言通りであったとして大いに話題になったとされるが、現在[[ミシェル・ノストラダムス師の予言集#百詩篇第1巻35番|的中例として有名な詩]]が取り沙汰されたのは、実際には17世紀に入ってからのことであった<ref>{{harvnb|高田|2000|ref=nr|pp=292-296}}、{{harvnb|山本|2000|pp=240-244}}</ref>。なお、ノストラダムスは、[[1556年]]1月13日付けで国王と王妃への献呈文をそれぞれしたため、[[1557年]]向けの暦書に収録したが、このうちカトリーヌ宛ての献辞では、[[1559年]]を「世界的な平和({{lang|fr|la paix universelle}}) 」の年と予言していた{{efn|この予言は同じ年の[[カトー・カンブレジ条約]]になら当てはまるように見えるとする指摘もある{{sfn|Halbronn|2002|p=192}}。}}。
 
=== 晩年 ===
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ときに、フランソワ2世の後を継いだ弟の国王[[シャルル9世 (フランス王)|シャルル9世]]は、フランス各地をまわる大巡幸の一環として、1564年10月17日に母后カトリーヌともどもサロンの街を訪れた。
 
[[ファイル:Emperi.jpg|thumb|200px|現在のランリ城]]
ノストラダムスは国王親子とサロンの{{仮リンク|ランペリ城|fr|Château de l'Empéri}}で会見をした。カトリーヌが[[アンヌ・ド・モンモランシー|モンモランシー公]]に宛てた書簡で言及しているおかげで、この時の会見内容は例外的に伝わっている。それによればノストラダムスは、モンモランシー公が90歳まで生きること、そしてシャルルも同じだけ長生きすることを予言したという(前者は3年後に公が75歳で没したことで外れ、後者はシャルルが10年後に23歳で没したことで外れた){{efn|以上の大巡幸の様子については{{harvtxt|Leroy|1993|pp=97-100}}, {{harvtxt|Brind'Amour|1993|pp=48-50}} などによる。}}。他方、ノストラダムスは、国王よりもむしろ随行していた少年に関心を示し、国王親子のいないところで、その少年がいずれフランスの王になると予言し、周囲を当惑させたというエピソードもある。この少年はナヴァル家のアンリで、のちに[[アンリ4世 (フランス王)|アンリ4世]]としてフランス王位に就くことになった。このエピソードが史実かどうかは定かでないが、パリ市民[[ピエール・ド・レトワル]]の日記(1589年)にも見出すことができる<ref>Pierre de L'Estoile, ''Mémoires journaux 1574-1611'', T.5, 1878, pp.245-247; {{harvnb|Parker|1923|p=104}} etc. レトワルの日記は生前公刊されることがなく、版によって異同があるが、ここで問題になっている記述は1719年版で付け加えられたものである。</ref>。
 
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<!--より詳しく知るための文献は関連書籍へ。-->{{small|本記事作成にあたり参照された文献。ノストラダムスを主題としておらず、参照頻度も少ない文献は、注記の中で書名も表示してある。}}
* [[ASIOS]]; [[菊池聡]]; {{Citation|和書|last=山津|first=寿丸|author-link=山津寿丸|year=2012|title=検証予言はどこまで当たるのか|publisher=[[文芸社]]|isbn=9784286131443|chapter=第二章 世界の三大予言者 ''ノストラダムスは王家の運命から自分の死まで予言した ? ''(pp.56-69)、''ノストラダムスは21世紀のために極秘予言を残していた ? ''(pp.91-98)}}
* {{Citation|和書|editor1=[[樺山紘一]]|editor2=[[高田勇]]|editor3=[[村上陽一郎]]|last1=伊藤|first1=和行|author1-link=伊藤和行|last2=高田|first2=勇|author2-link=高田勇|year=2000|title=ノストラダムスとルネサンス|publisher=[[岩波書店]]|isbn=4000018094|ref=nr}} 「''ノストラダムスと医学のルネサンス''」(伊藤和行, pp.235-254) 、「''ノストラダムス物語の生成''」(高田勇, pp.281-307)
* {{Citation|和書|last=竹下|first=節子|author-link=竹下節子|year=1998|title=ノストラダムスの生涯|publisher=[[朝日新聞社]]|isbn=4022572213|}}
* {{Citation|和書|last=田窪|first=勇人|editor=[[平井浩]]|year=2010|chapter=ノストラダムスの学術研究の動向|title=ミクロコスモス : 初期近代精神史研究 第1集 |publisher=[[月曜社]]|isbn=9784901477727|pages=330-347|ref=mi}}