「阿部正弘」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
1行目:
{{
{{基礎情報 武士
| 氏名 = 阿部 正弘
33行目:
天保8年([[1837年]])、正弘は福山へのお国入りを行った(正弘が国元へ帰ったのはこの1度のみである)。
天保9年([[1838年]])9月1日、[[奏者番]]に任じられる。天保11年([[1840年]])5月19日には[[寺社奉行]]見習に、11月には寺社奉行に任じられ、[[感応寺 (豊島区)|感応寺]]の破却などを行なっている。[[大奥]]と僧侶が[[徳川家斉]]時代に乱交を極めていた事件が、家斉没後に寺社奉行となった正弘の時代に露見すると、正弘は家斉の非を表面化させることを恐れて僧侶の
=== 老中就任 ===
137行目:
{{DEFAULTSORT:あへ まさひろ}}
[[Category:幕末幕府の人物]]
[[Category:幕末の大名]]
[[Category:幕末福山藩の人物]]
|