「ダニエル・カール」の版間の差分

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森園千歳 (会話 | 投稿記録)
森園千歳 (会話 | 投稿記録)
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|画像説明 = [[2011年]]
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1960|3|30}}
|生誕地 = {{Flagicon|USA}} [[カリフォルニア州]][[モンロビア (曖昧さ回避)|モンロビア市]]
|没年月日 = <!-- {{死亡年月日と没年齢|XXXX|XX|XX|YYYY|YY|YY}} -->
|死没地 = <!-- 省略可 -->
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== 概要 ==
[[日本]]で活動する[[ドイツ系アメリカ人]]である。英語指導主事助手や英語指導主事を経て、[[翻訳家]]として活動する。さらに会社経営を手がけるなど[[実業家]]としての顔も持ち、のちに[[タレント]]としても活動するようになった。また、「山形弁研究家」という肩書きも名乗っており、流暢な[[山形弁]]を話すアメリカ人として人気を集めている。[[アメリカ合衆国]][[カリフォルニア州]][[モンロビア (曖昧さ回避)|モンロビア市]]出身。
 
== 来歴 ==
[[1960年]][[3月30日]]、アメリカ合衆国[[カリフォルニア州]][[モンロビア (曖昧さ回避)|モンロビア市]]生まれ。[[アメリカ合衆国#国民|アメリカ人]]であった彼が日本に興味を持ったきっかけは、消防士であった父と共に出かけたジャパニーズ・タウンや小学生の時に出会った[[日系アメリカ人]]の少女に恋心を抱いたことであったという。それからは独学で日本や[[日本語]]を学び<ref>本人曰く {{lang|en|Hitorigoto Method}}(独り言方式)</ref>、日本に対する知識や興味をより高めていく。った<ref>[[東京書籍]]発行・Go English!II([[高等学校|高校]]英語[[教科書]])内の英語エッセイ</ref>
 
ハイスクール入学後は、交換留学生として[[奈良県]][[五條市]]にある[[智辯学園中学・高等学校]]で一年間を過ごす。大学生時代には再来日し、[[大阪府]][[枚方市]]にある[[関西外国語大学]]で4ヶ月間、その後[[京都府]]の[[二尊院]]に2ヶ月ホームステイしている。その後更に[[佐渡島]]で4ヶ月ほど[[文弥人形]]づかいの弟子入りを果たし、その様子は「日本の伝統に挑戦するアメリカ人学生」としてテレビの取材も受けている。[[カリフォルニア州]]にある[[パシフィック大学]]を卒業。
 
大学卒業後は三たび来日し、[[文部省]]英語指導主事助手として[[山形県]]に赴任する。中学校で3年間英語教育に従事し、その間に現地の同僚(主に中学校教師)からその後のトレードマークとなる山形弁を教わり、マスター。その後山形県で英語指導主事助手として勤務する。同じ中学校で英語教師であった夫人(現在翻訳家)と結婚後、学校教員を退職し、[[東京]]でセールスマンを経て翻訳・通訳サービス業務を行う会社を設立する。また会社経営をする一方で、そのキャラクターが受け、マルチタレントとしても活躍するようになった。カールの会社は元々の業務である翻訳サービスだけでなく、カールのタレント業の事務所としても機能している。この事務所には、[[作家]]の[[北方謙三]]や[[自動車評論家]]の[[徳大寺有恒]]らも所属していた<ref>「生きる力=ポジティブシンキングで道を拓く」『[http://www.suku-noppo.jp/pro/07/002.html 山形弁研究家のダニエル・カールさんへのインタビュー02:スクスクのっぽくん]』ルーティ。</ref>。
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ダニエルは地方生活が多かったので、[[文部省]]就職時には標準語([[東京方言]])圏の職場を希望していたがその意に反して赴任先は山形県となった。だが、それが山形弁を話す外国人としての現在の地位を確立する礎となった。初めて山形の地を踏んだ時は現地の老人の会話内容が全くわからず、「間違えて電車を乗り過ごし、[[外国]]に来てしまったのではないか?」と本気で思ったとの事。しかしながら看板には「やまがた」と[[平仮名]]で書いてあり、「日本に地続きの隣国もなければ平仮名を使う国は日本以外にないからここは日本だろう」と思い直したそうである。しかし、「話している言葉が日本語だとは思えない」と非常に混乱したという。特に「[[ん]]」で始まる日本語は存在しないと幾度も教わってきたので、現地人たちは何かにつけて「んだ!」、「んだー!」を繰り返し言っている事が余計に混乱の元となった<ref>[[1998年]][[9月3日]]出演の[[はなまるマーケット]]にて発言。</ref>{{出典無効|date=2013年6月8日 (土) 13:24 (UTC)|title=TV視聴による伝聞は信頼性に乏しい情報源で無効}}。
 
しかし逆にその驚きがダニエルの好奇心をくすぐり、彼をして[[山形弁]]に熱中さしめた。赴任教師として山形県内の各学校を回るうちに山形県という地域内で同じ言葉でも用法や意味が異なっている事に首を傾げ、方言と訛りの収集、及び学習、習得に熱中。あるきっかけで全国ネットの番組に出演する事になるが、その時には山形弁しか喋れない身になっていた。
 
=== 山形弁 ===