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{{儒教}}
'''礼'''(れい)とは、さまざまな行事のなかで規定されている動作や言行、服装や道具などの総称。[[春秋戦国時代]]、[[儒家]]によって観念的な意味が付与され、人間関係を円滑にすすめ社会秩序(儒家にとっては身分制階級秩序)を維持するための道徳的な規範をも意味するようになった。
 
== 備考概要 ==
[[孔子]]は礼について「克己復礼(自己に打ち克って礼に復帰する)」することが[[仁]]であると説き<ref>『[[論語]]』「顔淵」</ref>、仁を表現するうえで礼と仁は不可分のものと考えた{{sfn|中島|2012|pp=118-122}}。[[孟子]]も同様に、仁・[[義]]を美的に整え、飾るのが礼であると説いた{{sfn|中島|2012|pp=123-130}}。
 
儒家の礼の基本精神は供犠であり、「正しい」方法を守るという倫理的な支持以外の見返りを期待しない[[贈与]]である{{sfn|中島|2012|pp=118-122}}。孟子は「礼にかなっていなければ、どんなに飢えたひとであっても、施しの食事を受け取ることはない<ref>『[[孟子#書物としての『孟子』|孟子]]』「告子上」</ref>」と述べ、礼は人間のあり方として訓練されるべき規範であると説いた{{sfn|中島|2012|pp=123-130}}。
 
礼は規範であるが、[[法 (法学)|法規範]]のように客観的・普遍的なものではなく、[[感情]]を様式化した主観的で特殊な規範である{{sfn|中島|2012|pp=118-122}}。礼の具体的な適用場面は王朝や時代に応じて適切な形に見直され、変形している。
 
* 孔子の礼制による既成の秩序維持は[[周]]王朝期の礼制であり<!-- 参考・後述書 -->、[[春秋時代]]に国土を拡大した諸国がこれに従えば、国によっては国土を縮小しなければならず、これを指摘し、合理的に批判したのが、[[楚]]国の[[子西]]であった<ref>[[加地伸行]] 『孔子』 [[角川ソフィア文庫]] 2016年 ISBN 978-4-04-400045-5 pp.198 - 199.</ref>(以降、孔子は諸国の政治になぜ登用されなかったかの自覚をもつに至る<!-- 同書『孔子』より -->)。
孟子は礼を国家の行動規範として想定し、[[殷]]の[[湯王]]が葛伯を伐った葛伯征伐について、礼を行わない葛伯に対する正義の戦争であったと考察し正戦の論理を説いた<ref>『孟子』「滕文公下」</ref>。19世紀の思想家[[章炳麟]]は、礼が範例的な規範である以上、それを普遍化して押し付けることはできず、特定の礼を特権化してそれを拒むものを悪とする孟子の正戦論理は[[侵略戦争]]や植民地戦争の論理に他ならないとして批判した{{sfn|中島|2012|pp=123-130}}。
 
== 礼の分類 ==
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*礼に始まり礼に終わる - [[武道]]の基本。この言葉の初出は[[1907年]]7月『武徳誌』に[[内藤高治]]が発表した論文「剣道初歩」。
*礼は庶人に下らず、刑は大夫に上らず - 『[[礼記]]』ほか。
 
== 備考 ==
* 孔子の礼制による既成の秩序維持は[[周]]王朝期の礼制であり<!-- 参考・後述書 -->、[[春秋時代]]に国土を拡大した諸国がこれに従えば、国によっては国土を縮小しなければならず、これを指摘し、合理的に批判したのが、[[楚]]国の[[子西]]であった<ref>[[加地伸行]] 『孔子』 [[角川ソフィア文庫]] 2016年 ISBN 978-4-04-400045-5 pp.198 - 199.</ref>(以降、孔子は諸国の政治になぜ登用されなかったかの自覚をもつに至る<!-- 同書『孔子』より -->)。
 
== 脚注 ==
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== 参考文献 ==
* {{Cite |和書 |author = [[中島隆博]] |title = 悪の哲学:中国哲学の想像力 |date = 2012 |publisher = 筑摩書房 |series = 筑摩選書 |isbn = 9784480015433 |ref = harv }}
== 関連項目 ==
{{wiktionary}}