「土偶」の版間の差分
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前期後葉の[[宮城県]]糠塚遺跡の土偶に始まる。それは両目・口の表現の獲得である。それ以降は、東北地方南部に分布する土偶から、顔面の表現が次第にはっきり形作られてゆき、北陸地方や中部高地地方に広がっていき、中期初頭には「立像土偶」へと移りはじめ、胴部が板状、頭部が円盤状、正面に目・鼻・口が添えられる程度であるが、短期間に立体化し、自立可能な立像を完成させた。[[長野県]]棚畑遺跡<ref>宮坂 光昭 他編著『[http://sitereports.nabunken.go.jp/788 棚畑遺跡 八ケ岳西山麓における縄文時代中期の集落遺跡]』茅野市教育委員会、1990年。</ref>出土の「縄文のビーナス」はその到達点である。この急速な変化は、土偶が子孫繁栄、安産祈願、祭祀等の個人レベルの目的に造られてきたのにたいして、村落共同体レベルのでの祭祀に使われるようになったと考えられる。つまり、土偶はこの中期前葉に、縄文社会に定着した{{sfn|原田|2007|p=228-229}}。
後期には[[ハート型土偶]]が現れる。後期から晩期にかけて、関東から東北地方では、[[山形土偶]]や[[ミミズク土偶]]、[[遮光器土偶]]<ref group = *>眼の表現が誇張され、[[エスキモー]]など
== 古代宇宙飛行士説 ==
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