「殖産興業」の版間の差分

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[[安政]]元年[[3月3日 (旧暦)|3月3日]]([[1854年]][[3月31日]])に[[江戸幕府]]が[[開国]]に踏み切ると、日本各地の政治家([[大久保利通]]等)たちは[[西洋]]との圧倒的な国力の差を意識した。
 
[[慶応]]3年[[12月9日 (旧暦)|12月9日]]([[1868年]][[1月3日]])の[[王政復古 (日本)|王政復古の大号令]]によって成立した明治政府は、210年もの[[鎖国]]を布いた徳川幕府を倒すだけではなく[[鎌倉時代]]以来の約680年にも及んだ武家政権終焉を迎えさせ、「[[富国強兵]]」をスローガンに、積極的に自ら産業を興こす政策を施した。[[官僚#日本|官僚]]の[[前田正名]]を中心に企画立案され[[地租改正]]や[[秩禄処分]]で税制改革を行い、[[明治]]3年[[10月20日 (旧暦)|10月20日]]([[1870年]][[12月12日]])には[[工部省]]を設置、欧米から[[お雇い外国人]]を多数採用し、[[岩倉使節団]]に合わせて留学生を派遣するなど産業技術の移植に務めた。[[1872年]](明治4年-明治5年)には[[官営鉄道]]や[[汽船]]が発足し、国内の交通網が発達した。[[鉱山]]などの事業を行い、[[群馬県]]に[[富岡製糸場]]などの[[官営工場]]を開設した。
 
[[1873年]](明治6年)には官営事業を統括する[[内務省 (日本)|内務省]](初代内務卿[[大久保利通]])が設立された。[[北海道]]には開拓使を置き、[[屯田兵]]を派遣した。