「ジョン・W・クリスティー」の版間の差分

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M1928から採用された新式の懸架装置である「クリスティー式[[サスペンション]]」は、大型の接地転輪の一つ一つを、二重構造の車体側面に収納したコイルスプリングで独立懸架させたものである。(後のソ連の試作軽戦車・T-25や、アメリカの試作駆逐戦車・T49やT67では車台側面が二重構造ではなく、スプリングがむき出しになっているため、構造がわかり易い。)ストロークが大きく従来のボギー型のリーフスプリング式に比べ路外機動性に優れ、また最後部の接地転輪と起動輪が、内蔵されたチェーンで繋がり駆動することで、[[キャタピラ|履帯]]を外している際は路上での高速走行が可能な装輪[[装甲車]]となった。装軌走行中は操縦手の左右のブレーキレバーにより、また装輪走行中は[[ステアリング]]ハンドルを取り付け、先頭の接地転輪を左右に振ることで方向転換を行った。従って装軌走行中に片方の履帯が切断された場合は、左右で操行の手段が異なる状態となるため、まともに走行することができなくなる。
 
走行方式の切り替えは一見便利であったが、履帯を付けたり外したりする手間がかかりすぎ不便であり、量産・実戦投入された戦車としてはソ連の[[BT-2]]、[[BT-5]]、[[BT-7]]、イギリスの[[Mk.VIIテトラーク軽戦車]]で採用されたに止まり、続くT-34シリーズや英軍の巡航戦車ではクリスティー式であっても装輪走行はできなくなっている。また、既に大戦前にソ連軍の他の戦車で採用されていた[[トーションバー]]式サスペンションの方が路外での機動性や乗り心地により優れていたとされる。他に[[日本]]でも[[九八式軽戦車]](ケニ車)のサスペンションをクリスティ式様式に改めた“ケニ車B”を試作したが、当時の日本の冶金技術の低さもあ従来型のシーソー式の方が優れているとされ量産に至っていない<ref>日本がM1928を入手した形跡はないが、[[日ソ国境紛争]]時に投入されたソ連軍のBTシリーズを鹵獲しているためここから[[リバースエンジニアリング]]したものと思われる。</ref>。戦後に開発された量産型戦車でクリスティー式の足回りを持つ物は(英軍のアヴェンジャーやチャリオティア等、大戦中に開発された戦車のシャーシを流用したもの以外には)採用されていない。
 
なお、上部支持転輪が無く大型接地転輪を持つ戦車を全てクリスティー式と誤解する人も多い。例えば上部支持転輪の無い[[T-44|T-43、T-44]]、[[T-54]]/[[T-55|55]]、[[T-62]]はクリスティー式ではなくトーションバー式であり、逆に上部支持転輪のある英軍の[[コメット巡航戦車]]はクリスティー式である。両者は車体側面のコイルスプリングを使っているか、床下のトーションバースプリングを使っているかで区別される。