「ゴルディアヌス2世」の版間の差分

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しかし、南方の[[ヌミディア]]属州総督カペリアヌスはマクシミヌスの支持者で、マクシミヌスと同盟を結んだ総督カペリアヌスは手持ちの[[第3軍団アウグスタ]]を率いてゴルディアヌス2世のいるアフリカ属州に進攻、ゴルディアヌス2世はこれを迎え撃つも敗れ238年の末に戦死した。
 
ゴルディアヌス2世の死から30年後に[[ガッリエヌス]]帝を殺害して皇帝に即位した[[クラウディウス・ゴティクス]](クラウディウス2世)は、ゴルディアヌス2世の私生児との噂もあったようだが、おそらくは卑賤の出であり、詳しい出自は不明である。
 
{{ローマ皇帝|ローマ皇帝(26代:238年)}}