「久下橋」の版間の差分

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[[ファイル:Old Kuge Bridge 1.jpg|240px|thumb|旧久下橋(2000年7月)]]
[[ファイル:Kumagaya Old Kuge Bridge Monument 1.JPG|240px|thumb|旧久下橋記念碑(2010年12月)]]
橋は久下冠水橋(くげかんすいきょう)とも呼ばれ<ref name="kadokawa329">『角川日本地名大辞典 11 埼玉県』329頁。</ref>、[[1955年]](昭和30年)7月19日<ref>[http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000020286 レファレンス事例詳細] - レファレンス協同データベース</ref>に開通した。橋の施工は久下にある株式会社新井組が行なった<ref name="omoiyari79">『思いやりの譜(久下冠水橋記念誌)』79頁。</ref>。開通当時は市町村道の橋梁だったが、地元住民の埼玉県への陳情により[[1966年]](昭和41年)4月に県道(埼玉県道257号冑山熊谷線)に昇格されている<ref name="omoiyari37">『 思いやりの譜(久下冠水橋記念誌)』37-43頁。</ref>。全長282.4メートル、幅員2.7メートル(一部4.5メートル<ref name="kadokawa329" />)で、橋脚は44本。車幅制限は2.0メートルで重量制限は3.0トンである<ref name="Kantomichi412">『関東の道』412-413頁。</ref>。橋脚が鋼製(一部コンクリート製)、橋桁が木製の[[沈下橋|冠水橋]]であった。欄干は初めは付けられていなかったが住民の要望に応じ、[[1968年]](昭和43年)6月頃に鉄パイプを立ててワイヤーを張った簡素な欄干が設置された<ref name="omoiyari37"/>。この欄干は洪水の際に着脱が可能なものである。元々は中洲を挟み熊谷側と大里側にそれぞれ橋が架けられていたが、洪水などで中洲が消失した他、橋の破損の補修を繰り返しているうちに1本の橋に繋がったものである。橋の中央部の幅員がやや広くなっているのはその名残である<ref name="omoiyari37"/>。また、橋の損壊の他、橋の修繕の際にも通行止めの措置が取られ、[[1986年]](昭和61年)11月15日から12月15日までの1ヶ月間はそれより通行止めとされた<ref>{{Cite news |title=押切橋と久下橋を通行止め 熊谷土木事務所 |newspaper=埼玉新聞 |date=1986-11-15 |publisher=埼玉新聞社 |page=11}}</ref>。道幅が狭く自動車のすれ違いができなかったため、対岸の車両との譲り合いが前提となっていた。この譲り合う姿により「思いやり橋」とも言われていた<ref>{{Cite web |date=2006-05-02 |url=http://www.city.kumagaya.saitama.jp/kanko/tozai_nanboku/kanto/index.html |title=関東の富士見100景「久下橋」 - 真正面に富士山が見える |publisher=熊谷市公式サイト |accessdate=2015-01-31 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20070629151145id_/http://www.city.kumagaya.saitama.jp/kanko/tozai_nanboku/kanto/index.html |archivedate=2007-06-29}}<br/>{{Cite web |date= |url=http://www.ktr.mlit.go.jp/arajo/arakawa_u/yellow_u/sugata_u/sugata_11.html |title=久下橋 |publisher=国土交通省荒川上流河川事務所(あらかわ学び隊) |accessdate=2015-01-31 |archiveurl=http://warp.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1262863/www.ktr.mlit.go.jp/arajo/arakawa_u/yellow_u/sugata_u/sugata_11.html |archivedate=2010-12-01 }}</ref><ref name="Kantomichi412"/>。
 
1970年代から永久橋に架け替える計画が存在しており、[[1977年]](昭和52年)10月11日に久下・佐谷田地区内関係者を対象に地元公民館で説明会が行われたが、生活に密着した身近な橋であったことや騒音問題を危惧したことなどから、地元住民によって「久下橋かけかえ反対期成同盟会」が結成され、住民と行政にて長期に亘る協議・交渉が行われた<ref>[http://www.kaigiroku.net/kensaku/cgi-bin/WWWframeNittei.exe?A=frameNittei&USR=saikums&PWD=&XM=000000000000000&L=1&S=15&Y=%8f%ba%98%6162%94%4e&B=-1&T=-1&T0=-1&O=-1&P1=&P2=&P3=&P=1&K=28&N=151&W1=&W2=&W3=&W4=&DU=0&WDT=1 昭和62年9月定例会(第5回)〇議事日程(9月17日〔木〕午前10時開議)P.290 ◆礒崎榮議員] - 熊谷市議会会議録検索</ref>。
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[[1979年]](昭和54年)に久下橋付近で実施された魚類捕獲調査では、[[ウグイ]]、[[オイカワ]]、[[コイ]]などが取れた。1985年の調査では、[[ニゴイ]]とウグイが多数を占めた<ref>『荒川 自然』547頁。1979年には[[ウグイ]]9、[[オイカワ]]・[[コイ]]7、[[モツゴ]]3、[[ギンブナ]]2、[[キンブナ]]1。1985年には[[ニゴイ]]32、ウグイ21、オイカワ4、[[ゲンゴロウブナ]]・[[アユ]]2。</ref>。
 
久下側から屈戸側に渡る場合、正面に[[富士山]]が綺麗に見える。2004年(平成16年)に[[関東の富士見百景]]([[国土交通省]][[地方整備局#関東地方整備局|関東地方整備局]])に選ばれた。堤外地側([[河川敷]])は主に耕作地で、堤内地は北側は旧[[中山道]]沿いに集落があり、南側は主に水田などの農地となっている
* [[元荒川]]
* 切所沼
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* 関東の道発刊20周年年記念『関東の道』社団法人関東建設弘済会発行、2005年3月。
* 埼玉県『荒川 自然』(荒川総合調査報告書1)、1987年。
* {{Cite book|和書 |author =「角川日本地名大辞典」編纂委員会 |year = 1980-07-08 |title =[[角川日本地名大辞典]] 11 埼玉県 |publisher =角川書店 |page =329 |isbn =4040011104 }}
* {{Cite news |title=新久下橋開通 熊谷-大里結ぶ |newspaper=埼玉新聞 |date=2003-06-16 |publisher=埼玉新聞社 |page=1 |}}