「オーラヴ5世 (ノルウェー王)」の版間の差分

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== 生涯 ==
[[ファイル:Kronprins Olav OB.F04657.jpg|thumb|180px|right|幼少期のオーラヴ5世]]
[[デンマーク]]王[[フレゼリク8世 (デンマーク王)|フレデリク8世]]の次男であったデンマーク王子[[ホーコン7世|カール]]と、[[イギリス]]王[[エドワード7世 (イギリス王)|エドワード7世]]の三女[[モード (ノルウェー王妃)|モード]]の長男としてイギリスで生まれ、アレクサンデル({{Lang|da|Alexander}})と名付けられた。1905年に父がノルウェー王に選ばれ、ノルウェー風に[[ホーコン7世]]を名乗った際、アレクサンデルも同じくノルウェー風にオーラヴ({{Lang|no|Olav}})と改名された。以後オーラヴは[[法定推定相続人|第一王位継承権者]]としてノルウェーで育てられた。
 
1924年にノルウェー陸軍士官学校を卒業した後、[[オックスフォード大学]][[ベリオール・カレッジ (オックスフォード大学)|ベリオール・カレッジ]]で法学と経済学を学んだ。1929年にスウェーデン国王[[オスカル2世 (スウェーデン王)|オスカル2世]]の三男[[カール (ヴェステルイェートランド公)|ヴェステルイェートランド公カール]]の次女で、父方の従姉にあたる[[マッタ・アヴ・スヴェーリエ|マッタ]]と結婚した。2人の間には1男2女、[[ラグンヒル (ノルウェー王女)|ラグンヒル]]、[[アストリッド (ノルウェー王女)|アストリッド]]、[[ハーラル5世 (ノルウェー王)|ハーラル5世]]と1男2女が生まれた。
 
[[アスリート]]としても知られ、1928年の[[アムステルダムオリンピック]]では[[ヨット|セーリング]]で[[金メダル]]を獲得している。また、スキージャンプも行っていた。
 
[[第二次世界大戦]]中は父王とともにイギリスに亡命しつつ[[ナチス・ドイツ]]に抵抗し、ノルウェーの解放後に帰国した。1957年、父の死去により王位を継承した。即位した後はその誠実な性格から「国民の王」として庶民から愛された。オーラヴ5世は国王であるにもかかわらず自分で[[自動車]]を運転することを好み、自ら公道[[ステアリング・ホイール|ハンドル]]運転して握り[[スキー場]]に向かう姿などが良く見かけられた。
 
しかし1973年の[[オイルショック]]の時、ノルウェー国民は特定の週末運転禁止にすると定められてしまった。それらの週末でも王族は運転が可能であったものの、自らが国民の模範であるべきとの信念を持っていた王は、運転禁止期間中にスキー場に向かう時は普通の国民と同じようにスキーウェアを着用し、スキー板を自分の肩に担ぎ、公共交通機関([[鉄道]])を利用してスキー場に向かった。そういった時もオーラヴ5世は[[ボディーガード]]をつけないことで知られており、のちにその理由をマスコミに問われた時、オーラヴ5世は「私には400万人のボディガード(当時のノルウェーの人口、すなわちノルウェー国民全員)がいたからね」と誇らしく答えた。
 
1968年、スキー界の発展に影響を及ぼした人物として[[ホルメンコーレン・メダル]]を受章した。