「青山ミチ」の版間の差分

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パワフルでパンチのある歌声で、[[ミッチー]]の愛称で親しまれ、[[1963年]]には「ミッチー音頭」が、[[1965年]]には[[エミー・ジャクソン]]と競作となった「[[涙の太陽]]」が大ヒットした。1960年代後半には生き別れたアメリカ人の父親を捜そうとしてニュースにもなる。その後[[日本クラウン]]に移籍した。
 
「[[亜麻色の髪の乙女 (ヴィレッジ・シンガーズの曲)|風吹く丘で]]」の発売を控えた1966年11月に覚せい剤で逮捕され、レコードの発売がお蔵入りとなる(後に「亜麻色の髪の乙女」に改題され、[[ヴィレッジ・シンガーズ]]の歌唱で大ヒットとなる)。1974年3月に万引きで現行犯逮捕、1978年10月に再び覚せい剤で逮捕され、芸能界から追放状態となる。その後、1999年にも3度目の覚せい剤による逮捕で実刑判決を受け、表舞台から完全に姿を消した。
 
その後は長らく消息不明だったが、娘と2人で生活保護を受けながら暮らしていることがテレビ番組「[[あの人は今!?]]」の調査でわかった。また、アメリカに父方の彼女の異父姉妹に当たる姉がおり、[[2009年]]に妹のミチを捜し続けて、彼女の情報提供を呼びかけていた<ref>[http://genforum.genealogy.com/chatnames/messages/182.html Michi Aoyama of Japan]{{リンク切れ|date=2017年2月}}</ref><ref>[http://www.japantimes.co.jp/text/fl20090120kj.html Lifelines back to the 1900s] The Japan Times 2009年1月20日</ref>。