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A300の販売が好転すると、エアバス・インダストリーは次期製品の検討を本格化した{{sfn|浜田|2010b|p=93}}。これまで行っていた市場調査の結果から座席数200席強の旅客機需要が高まると予測され、同社はA300の胴体を短縮した派生型の開発を決断した{{sfn|浜田|2010b|p=93}}。この派生型は[[エアバスA310|A310]]と名付けられ1978年7月7日に正式開発が決定され、同月13日にフランス・ドイツ両政府からの事業認可を得た{{sfn|青木|2010|p=71}}。
 
A300の販売好転とA310の開発決定という将来性が見えてくると、これまで様子見をしていたイギリス政府が方針を変えた{{sfn|浜田|2010a|p=97}}{{sfn|粂|2007|p=27}}。イギリスは、1977年4月29日にホーカー・シドレーを含む航空機メーカー4社を統合し、国有企業として[[ブリティッシュ・エアロスペース]](以下、BAe)を設立させた{{sfn|日本航空宇宙工業会|2007|p=270}}{{sfn|青木|2010|pp=126–127}}。そして1978年11月、イギリス政府のエアバス計画への加盟が決定した{{sfn|松田|1981a|p=59}}。エアバスの苦しい時期を支えてきたフランス政府は、このイギリス政府の態度に反発したが、同じくエアバスを支えてきたドイツ政府は米国へ対抗するためにはイギリスの力を無視できないと考え、最終的にイギリス政府の参加が実現した{{sfn|松田|1981a|p=59}}。
 
[[File:Airbus A310-221, Swissair AN0521293.jpg|thumb|left|[[スイス航空]]のA310-200。同社はルフトハンザ航空と共にA310の最初の発注者となった。]]
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A300-600を最初に発注したのはサウジアラビア航空(現・[[サウディア]])で、その内容はJT9Dエンジン装備仕様を11機であった{{sfn|青木|2010|p=75}}。これにより1980年12月6日にA300-600の開発が正式決定された{{sfn|青木|2010|p=75}}。A300・A310通算252号機がA300-600の初号機となり1983年7月9日に初飛行した{{sfn|青木|2010|p=75}}。型式証明のための飛行試験には3機が用いられ、飛行回数はのべ232回、飛行時間は計506時間の試験が行われた<ref name=FI-1984-0317/>。[[1984年]]3月9日に型式証明が交付され{{sfn|青木|2010|p=75}}、同月25日にサウジアラビア航空に対して初納入されて翌月に初就航した{{sfn|青木|2014|p=124}}<ref name=FI-1985-0008/>。1985年までにサウジアラビア航空に加えて[[クウェート航空]]、[[タイ国際航空]]でもA300-600の就航が始まった<ref name=WAC1985/>。
 
=== 第1世代の生産終了と次世代型の発展 ===
A300第1世代は1980年から82年にかけて引き渡し数のピークを迎えたが{{sfn|浜田|2010a|p=97}}、A300-600の登場により役割を終え、[[1985年]]1月2日に初飛行した通算304号機を最後に生産を終了した{{sfn|青木|2010|p=69}}{{refnest|group="注釈"|通算製造番号でいうとA300第1世代の最終号機は305号機であるが、こちらは304号機より先に初飛行している{{sfn|青木|2010|p=69}}。}}。304号機はシンガポール航空の発注により製造されていたが、発注が変更されたことでアメリカン航空に納入された{{sfn|青木|2010|p=69}}。A300第1世代の生産数は250機で1号機を除く249機が顧客に納入された{{sfn|佐藤|2001}}。
 
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1980年代前半まで民間航空機市場におけるエアバス・インダストリーのシェアは、納入機数で20パーセントに届くか届かないかだったが<ref name=JADC-data4/>、1999年に初めて受注機数でエアバス・インダストリーがボーイングを上回った{{sfn|日本航空宇宙工業会|2007|pp=6&ndash;7}}。エアバス・インダストリーは参加国政府の様々な後押しを受けて急成長したが、決算報告書も存在しない企業連合 (GIE) という形態が問題視されるようになり、構成各社や政府内からも財務情報の公表も含めた組織の健全化が求められるようになった{{sfn|日本航空宇宙工業会|2007|pp=6&ndash;7, 208&ndash;209}}{{sfn|山崎|2009|pp=224&ndash;225}}。そこで会社形態を{{仮リンク|単純型株式資本会社|fr|Société par actions simplifiée}} (SAS) に転換することになり、2001年に新会社へ移行して社名も「エアバス」(Airbus S.A.S.)に変わった{{sfn|青木|2010|p=127}}{{sfn|日本航空宇宙工業会|2007|pp=208&ndash;209}}。
 
A300-600登場後の引き渡し数は、[[1980年代]]末から[[1990年代]]前半まではおおむね毎年20機超であったが、A340・A330の納入が始まり1990年代半ばになると売れ行きが鈍り、毎年10機程度の生産となった<ref name=JADC-data1/>{{sfn|浜田|2010b|p=95}}。CCQの対象外であったA300とA310は、A320から始まったエアバス機のファミリー化の流れから取り残される形になった{{sfn|青木|2014|p=109}}。1990年代後半にはエアバス関係者は、A300が担っていた市場は、A330の短胴型であるA330-200(座席数およそ250席)が代替するようになったとの見方を示している{{sfn|Kingsley-Jones et al.|1997|p=14}}。また、同じこの関係者は中距離ワイドボディ機市場には、航続力や運用の柔軟性でA300/A310よりも勝る[[ボーイング767]]の存在があることを認めている{{sfn|Kingsley-Jones et al.|1997|p=14}}。2006年3月8日、エアバスはA300とA310の生産を2007年7月で終了すると発表し、以降は受注済み機体の生産を終え次第、製造ラインを閉じることとなった{{sfn|粂|2007|p=30}}{{sfn|青木|2014|p=125}}。A300-600の最終生産機は製造番号878号機のA300-600Rの貨物型であり、2007年4月18日に初飛行し、同年7月17日にフェデックスに引き渡された{{sfn|青木|2014|p=125}}。
 
A300はA310と合わせて822機生産され{{refnest|group="注釈"|製造番号の最終は878号機だが、これは製造番号の割当てだけされて実際には製造されなかったものが56機あるためである{{sfn|青木|2010|p=78}}。}}、そのうちA300第1世代が250機、A300-600シリーズは317機であった{{sfn|佐藤|2001}}{{sfn|青木|2010|pp=73, 78}}。A300-600STを含めたA300顧客への引き渡し総数は561機であり、内訳は第1世代が249機、A300-600シリーズが317312機であった<ref name=JADC-data1/>{{sfn|青木|2010|p=78}}。また、A300-600STは、全5機がエアバス関連企業のエアバス・トランスポート・インターナショナルで運航されている{{sfn|青木|2010|pp=78&ndash;79}}。
 
== 機体の特徴 ==
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=== 形状・構造 ===
[[File:Onur Air Airbus A300 Karakas.jpg|thumb|左後方やや上から見下ろしたA300B4。]]
A300の最大の特徴は、250席から300席級というサイズの旅客機を双発機として実現したこととされる{{sfn|松田|1981b|p=102}}。A300は、客室内に2本の通路をもつワイドボディ機である{{sfn|渡邊|1981a|p=5}}{{sfn|久世|2006|p=139}}。片持ち式の主翼を低翼に配置した[[単葉機]]であり、左右の主翼下に1発ずつ[[ターボファンエンジン]]を備えた双発機である{{sfn|渡邊|1981a|pp=5&ndash;7}}。[[尾翼]]も低翼配置で垂直・水平尾翼ともに胴体尾部に直接取り付けられている{{sfn|渡邊|1981a|pp=5&ndash;6}}。[[降着装置]]は前輪式配置で機首部に前脚、左右の主翼の付け根に主脚がある{{sfn|青木|2010|p=68}}。A300第1世代の機体全長は53.62メートル、全幅は44.84メートル、全高は16.53メートルである{{sfn|藤田|2001b|p=57}}<ref group="注釈" name=length/>
 
[[File:Translift Airways Airbus A300 Aragao.jpg|thumb|A300B4の右側面。尾部に向けて絞り込まれている胴体後部では客室床も後ろ上がりに傾斜しており、それに合わせて客室窓も少しずつ上がっている。]]
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主翼と主脚([[降着装置]])の強度を向上し、ブレーキとタイヤの容量を増すことで最大離陸重量を165トンまで増加したタイプである{{sfn|松田|1981a|p=57}}。A300B4-200では貨物室内に燃料タンクを増設でき、その場合の航続距離は3,000海里(5,560キロメートル)となった{{sfn|松田|1981a|p=57}}{{sfn|藤田|2001b|p=57}}。
 
A300B4-200は1978年1月にエールフランスから初受注し、当型式の初号機は通算70号機で1979年4月26日に型式証明を取得、同月末から引き渡しが始まった{{sfn|松田|1981a|p=57}}{{sfn|佐藤|2001}}。100機が生産されたほか、A300B4-100からA300B4-200仕様に改造された機体もある{{sfn|藤田|2001b|pp=56&ndash;57}}。操縦士2名での運航が可能名FFCC仕様もある{{sfn|藤田|2001b|p=57}}。
 
=== A300C4 ===
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== 運用の状況 ==
A300はシリーズ全体で561機が納入顧客へ引き渡された<ref name=JADC-data1/>{{sfn|青木|2010|p=156}}。そのうちA300第1世代が249機で、A300-600シリーズが312機であった{{sfn|青木|2010|pp=69, 78}}。この他、A300-600STは5機ともエアバス・トランスポート・インターナショナルにより運用されている{{sfn|青木|2010|pp=78&ndash;79}}
 
A300第1世代の新造機での導入数が最も多かったのは、イースタン航空でその数は32機であった{{sfn|佐藤|2001}}。10機以上の新造機を導入したのは、欧州ではエールフランス (23) とルフトハンザ航空 (11)、米国ではイースタン航空と[[パンアメリカン航空]] (12)、アジアでは[[タイ国際航空]] (12)、東亜国内航空(後の[[日本エアシステム]]) (11)、[[大韓航空]] (10)、[[インディアン航空]] (10)であった(括弧内は導入機数){{sfn|佐藤|2001}}。
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エールフランス、ルフトハンザ航空、イベリア航空、アリタリア航空といった欧州の主要航空会社は、A300を欧州内幹線で運航した{{sfn|谷川|2002|p=134}}。A300第1世代の運航機数が最も多かったのは1980年代後半で約240機をピークに引退が進み、A300-600については2000年代中盤の約290機をピークに引退が進んでいる<ref name=JADC-data3/>。初期の運航会社が放出した機体は、中古機として中小規模の航空会社で採用されたほか、貨物専用型へ改造され貨物航空会社でも運航されている{{sfn|谷川|2002|pp=134&ndash;135}}。
 
2016年7月現在では、A300第1世代が12機、A300-600シリーズが198機運用されている<ref name=WAC2016/>。運用数の半数以上は貨物航空会社によるもので、運用数の首位はFedEx (68)、以下UPS航空 (52)、[[DHL]]の関連会社である{{仮リンク|ユーロビアン・エア・トランスポート|en|European Air Transport}} (21) と続き、上位3社ともA300-600のみの運用である<ref name=WAC2016/>。旅客航空会社でA300を運航しているのは中東やアフリカの航空会社を主とした数社で、[[マーハーン航空]] (15)、[[イラン航空]] (7)、[[エジプト航空]] (3) などとなっている<ref name=WAC2016/>。また、運用数の中にはエアバス関連会社5機エアバス・トランスポート・インターナショナルが運航する[[エアバス ベルーガ|A300-600ST]]「ベルーガ」5機も含まれる<ref name=WAC2016/>。
 
=== 日本での運航 ===
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=== 受注・納入数 ===
顧客へ納入されたA300シリーズは総計561機が納入されたである。内訳は、A300第1世代が249機、A300-600シリーズが312機であった。
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|+ 表3: 年ごとの受注・納入数(キャンセル分は当初発注年度から減じている)<ref name=JADC-data1/>