「筑紫哲也」の版間の差分
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|活動期間 = 1959 - 2008
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|受賞 = [[日本記者クラブ]]賞(2008年)
▲| credits = [[朝日新聞]]記者(1959 - 1984)<br />「[[朝日ジャーナル]]」編集長(1984 - 1987)<br />朝日新聞編集委員(ニューヨーク駐在、1987 - 1989)<br />[[TBSテレビ|TBS]]『[[筑紫哲也 NEWS23]]』メインキャスター(1989 - 2008)<br />[[日本記者クラブ]]賞受賞(2008年)<br />
|公式サイト =
}}
'''筑紫 哲也'''(ちくし てつや、[[1935年]]([[昭和]]10年)[[6月23日]] - [[2008年]]([[平成]]20年)[[11月7日]])は、[[日本]]の[[ジャーナリスト]]、[[ニュースキャスター]]。
[[朝日新聞社]]記者、[[朝日ジャーナル]]編集長、[[TBSテレビ]]『[[筑紫哲也 NEWS23]]』メインキャスター、[[早稲田大学
== 来歴 ==
=== 生い立ちと朝日新聞社時代 ===
[[1935年]]([[昭和]]10年)、[[大分県]][[日田市]]生まれ。[[静岡県立沼津東高等学校]]
大学在学中は[[合唱
朝日新聞外報部デスクとして『さて今週は、閑話・徹子と記者クラブ』([[1977年]](昭和52年)11月6日放送)にゲスト出演した後、[[1978年]](昭和53年)4月から[[1982年]](昭和57年)9月まで[[テレビ朝日]]『[[日曜夕刊!こちらデスク]]』のメインキャスターを務めた。同時期、[[朝日新聞|朝日新聞社]]のCMで『日曜夕刊!こちらデスク』のパロディ番組『夕刊タモリ!こちらデス』(現在の『[[タモリ倶楽部]]』の前身)の司会者だった[[タモリ]]と共演した。
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彼の[[ジャーナリスト]]としての社会的な発言には、毀誉褒貶・賛否両論あったが、ニュースキャスターとしての手腕はこの番組で確実となり、以降は『[[ニュースステーション]]』のキャスター・[[久米宏]]と並び民放ニュースキャスターの顔として広く認知された。[[久米宏]]とは平日夜のニュース番組の[[視聴率]]を激しく争ったが「[[広島東洋カープ]]のファン」という共通点があったため、[[日刊スポーツ]]の企画で[[1991年]](平成3年)の[[西武ライオンズ]]との[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]を仲良く観戦している<ref name="中国2016109">[[中国新聞]] 日刊 2016年10月9日28面『V7 私の鯉心(6) 久米宏さん』</ref>。久米は「筑紫さんは戦争の歴史を刻んだ沖縄と広島に心を寄せ、地方球団、市民球団のカープを愛していました。筑紫さんは、"反中央"、"反権力"という自分の性格をカープに重ねたのではないか」と述べている<ref name="中国2016109"/>。
[[1993年]](平成5年)、『筑紫哲也 NEWS23』のキャスターとしての業績に対して、第30回[[ギャラクシー賞]]・テレビ部門個人賞を受賞<ref>{{cite web
|url = http://www.houkon.jp/galaxy/30th.html |title = 第30回ギャラクシー賞受賞作品 |publisher = [[放送批評懇談会]] |date = |accessdate = 2014-11-14 }}</ref>。 [[1995年]](平成7年)のいわゆる「[[TBSビデオ問題]]」(TBSの[[ワイドショー]]『[[3時にあいましょう]]』のスタッフが[[オウム真理教]]幹部に[[坂本堤]]への[[インタビュー]]映像を事前に視聴させた事実が発覚。[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]の一因であるとして、TBSへの非難が集中した)では、『筑紫哲也NEWS23』で[[TBSテレビ|TBS]]の対応に疑問を呈し続けた。当時のTBS[[社長]]・[[磯崎洋三]]が過ちを認めた[[1996年]](平成8年)[[3月25日]]の記者会見の後、その日の「多事争論」にて『TBSは今日、死んだに等しいと思います』と発言し、TBSを批判した<ref>{{cite press release
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[[1998年]](平成10年)[[11月19日]]には、訪日した[[ビル・クリントン]][[アメリカ大統領]]をTBSの『筑紫哲也NEWS23』に招いて[[筑紫哲也 NEWS23#タウンミーティング|タウンホールミーティング]]風のインタビューと[[ディスカッション]]を行った。
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=== 晩年 ===
[[2007年]](平成19年)[[5月14日]]放送の『NEWS23』で初期の[[肺癌]]であることを告白<ref>{{cite press release
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}}</ref>、治療に専念するため『NEWS23』への出演を一時休業した。同年[[10月8日]]には休業後初めて番組に復帰。以降はスペシャルアンカーとして数ヶ月おきに番組へ出演。最晩年には出演時にニット帽をかぶるようになった。<!--「筑紫哲也 明日への対話」について詳しい方いませんか?-->
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[[2008年]](平成20年)[[11月7日]]午後、肺癌のため東京都内の病院で死去した。享年74(満73歳没)<ref>{{cite news
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}}</ref>。真裏の報道番組同士のライバル関係にあった[[久米宏]]、[[古舘伊知郎]]らが自らの番組でその死を悼んだ<ref>{{cite news
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}}</ref><ref>[http://www.sanspo.com/geino/news/081108/gnj0811080504016-n1.htm 古舘、TV番組で“先輩”筑紫さん偲ぶ] SANSPO.COM</ref>ほか、追悼特別番組が放送されるなどその死は大きく報じられた。[[法名 (浄土真宗)|法名]]は無量院釋哲也。[[2008年]](平成20年)[[12月19日]]、東京都内のホテルで別れの会が行われた。
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== スタンス・評価 ==
{{Main2|『NEWS23』でのジャーナリスト活動とその賛否
[[リベラル派]]文化人の代表的存在だが、報道姿勢について賛否が分かれることも多かった。その一方で[[野村秋介]]と親交があり、それを[[阿川佐和子]]に驚かれたことがあるように、保守的姿勢の人物に対しても許容している側面があり<ref>[http://book.asahi.com/special/TKY201010290402.html 女神(5)阿川佐和子さん ニコニコ顔に負けて、つい…] asahi.com</ref>、これ以外にも筑紫と親交の深かった保守系の政治家やジャーナリストも多く、筑紫の葬儀には保守派の大物議員や有名ジャーナリストの参列も見られた。元内閣総理大臣[[小泉純一郎]]はイラク戦争でアメリカを支持していたので対極の立場にあったが、[[上杉隆]]によれば、プライベートでは首相官邸に小泉を訪ね、[[オペラ]]談義に花を咲かせることもあったのだと
▲[[リベラル派]]文化人の代表的存在だが、報道姿勢について賛否が分かれることも多かった。その一方で[[野村秋介]]と親交があり、それを[[阿川佐和子]]に驚かれたことがあるように、保守的姿勢の人物に対しても許容している側面があり<ref>[http://book.asahi.com/special/TKY201010290402.html 女神(5)阿川佐和子さん ニコニコ顔に負けて、つい…] asahi.com</ref>、これ以外にも筑紫と親交の深かった保守系の政治家やジャーナリストも多く、筑紫の葬儀には保守派の大物議員や有名ジャーナリストの参列も見られた。元内閣総理大臣[[小泉純一郎]]はイラク戦争でアメリカを支持していたので対極の立場にあったが、[[上杉隆]]によれば、プライベートでは首相官邸に小泉を訪ね、[[オペラ]]談義に花を咲かせることもあったのだと言う<ref name ="diamond-uesugi-2008-1113">「[http://diamond.jp/articles/-/7182?page=3 筑紫哲也氏は本当に賞賛すべきジャーナリストだったのか]」『週刊上杉隆』ダイヤモンド社HP 2008年11月13日</ref>。
=== 肯定的評価 ===
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=== 否定的評価 ===
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| | | | | | | | }}</ref>[[北朝鮮による日本人拉致問題]]に関する言動などで<ref>[[西村幸祐]]「拉致家族と『朝日新聞』&筑紫哲也氏の深すぎる溝」(『反日の構造』 ISBN 4569639968 所収)など。</ref>強い批判を受けることが多かった。 *
|year = 1999 |month = 8 |title = 私の「戦争論」 |publisher = ぶんか社 |isbn = 978-4821106844 |ref = 吉本1999a }}75頁</ref>。 *
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*元首相の[[森喜朗]]は、月刊誌『Will』にて自らの内閣がマスコミに叩かれた背景として、自身の所属していた福田派の敵対派閥と懇意にしている官邸記者達が多かったことを一因に挙げ、続けて筑紫がある結婚式で「今日は、森前総理も見えていますが、'''森政権時代、我々も『森を潰せ』という戦略で少しやりすぎだったと思っています。'''一国の総理と[[マスメディア|メディア]]の間には、ある程度の緊張感が必要で、ある程度の批判はする。しかし、森さんについてはやりすぎたという反省がある」と述べ、森は「何をいまさら」という気分だったと述べている<ref>森喜朗(聞き手[[大下英治]])「「失言問題」、朝日新聞を叱る」『[[WiLL (雑誌)|WiLL]]』2007年9月P51-52</ref>。
*筑紫の「沖縄=戦争と基地の悲劇の島」という沖縄観は[[ステレオタイプ]]という批判がある。[[日本経済新聞社]]元那覇支局長[[大久保潤]]と[[篠原章]]の共著『沖縄の不都合な真実』([[新潮新書]]、[[2015年]]、142-143p)「第6章本土がつくったオキナワイメージ」では、[[琉球史]]研究の第一人者で[[副知事]]だった[[高良倉吉]]が、「いつのまにか、沖縄人は[[大江健三郎]]と筑紫哲也が言う被害者沖縄のイメージ通りに振る舞うクセが付いてしまった」と発言して、筑紫の沖縄観が沖縄県内で定着した結果、[[戦争]]も[[基地]]も被害者の視点だけで語り、自立に向けた議論を阻み、「日本はなんとかしろ」という[[依存]]体質や[[陳情]]文化が一般人にも蔓延したことを解説したこと、「沖縄が自立できないのは筑紫哲也のせいだ」という言葉を、戦後60年の取材中に地元の複数人から聞いたことが触れられている。沖縄に[[家系]]を持つ[[与那原恵]]は、『迷惑な沖縄愛』という小論を[[別冊宝島Real]]『筑紫哲也「妄言」の研究』に寄稿し、News23でも何度も特集された95年の米兵による少女暴行事件の抗議集会は自発的に集まった人が多数を占めたが、沖縄人に強く訴えかけた大きな理由は、被害者が「[[少女]]」』だったこと、沖縄のこの種の集会は、[[中学生]]や[[高校生]]の少女が[[作文]]や[[詩]]を読み上げるが、この集会でも[[普天間高校]]の[[女子高生]]が作文を読み、彼女は数年間にわたってNews23に取材されることになったが、筑紫に仮託された「沖縄の少女」というイメージに縛られるのはいやだろうな、と述べている。また、筑紫が沖縄を愛するのは、自分は無知な少年だったから軍国少年に染め上げられてしまったのだという戦争を止められなかった大人への恨みを重ねることができるのは、沖縄を象徴する「少女」であり、[[無垢]]で清らかな自分と日本と米国の[[大国]]の論理で振り回されてしまう被害者としての沖縄という感覚を共有できると思っているからだが、[[沖縄戦]]の実相は複雑であり、また沖縄は複雑な感情や打算がうずまく島でもあり、人間の暮らしとはそういうものであり、沖縄ではかつての左翼的言説に人々がなびかなくなっており、左翼が沖縄に仮託して、自分たちの言いたいことを言っているに過ぎないことに気づいてしまったこと、そして、この先も沖縄に関心を持ち報道していくなら、沖縄の現実や複雑な思いや変化を正確に見て、筑紫が沖縄人に好かれていないという事実も直視すべき、と述べている。
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===自己のスタンス===
*[[田勢康弘]]によると、筑紫は「少数派であること、批判されることを恐れずに、多様な意見や立場を登場させることで、社会に自由な風気を保つこと」を自身の報道姿勢としていた。2008年、筑紫が病床から『NEWS23』スタッフへ向けて送った手紙にこの考えが表されている<ref>[http://www.taji-so.com/message.html WEB多事争論 - 筑紫哲也メッセージ]</ref>。
{{quotation|
(以下、全文)
137 ⟶ 155行目:
2008年夏 筑紫哲也
}}
*[[田原総一朗]]から「[[右翼]]から諸悪の根源だとこてんぱんにいわれてますね」と冷やかされた際に「それを名誉に思わなければいけません」と答えるなど、自己のスタンスを貫いた。
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NPO活動中の[[辻元清美]]に政界入りを勧めたことでも知られる<ref>{{cite news
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}}:辻元清美が自宅を訪れた際に、開口一番で「やれ」(出馬しろという意味)と言い切られた。「泥船だからこそ乗れ。市民の政党に変えろ」。その後、[[ジャーナリスト]]の領分を逸脱しているとの批判もあったが、「おれには政治家辻元清美の製造元責任がある」と言い続けた。
== 縁戚 ==
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== 人物 ==
=== ヘビースモーカー ===
[[ハイライト (たばこ)|ハイライト]]と[[マールボロ (たばこ)|マルボロの赤]]を1日3箱吸っていた[[ヘビースモーカー]]だった。肺癌になって[[禁煙]]した後も「一服できないと面白くない」「百害あって一利なしと言うけど、文化は悪徳が高い分、深い。([[タバコ|たばこ]]の[[喫煙]]は)[[人類]]が発明した偉大な[[文化]]であり、たばこの代わりはありませんよ。これを知らずに[[人生]]を終わる人を思うと、何とものっぺらぼうで、気の毒な気がしますね」「癌の原因は[[ストレス (生体)|ストレス]]で、たばこはきっかけにすぎない」と語った<ref>{{cite news
| | | | |date | | | }}</ref>。 == 出演 ==
『NEWS23』以後、TBSと専属契約を結んでおり、基本的にテレビ出演はTBS系列の放送局に絞っていた。ただし、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]『[[トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜]]』にVTR出演したり、年に1回[[テレビ朝日]]の特番にゲスト出演していた。
=== テレビ ===<!--
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=== ラジオ ===
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=== 映画 ===
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== 著書 ==
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== 筑紫を批判する文献 ==
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== 関連項目・人物 ==
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*[[久米宏]] - 「筑紫哲也 NEWS23」のライバル番組「ニュースステーション」のメインキャスター。平日最終版のニュースの概念を大変革させた人物。
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== 外部リンク ==
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{{NEWS23}}
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