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{{政治家
|人名 = 梅原 克彦
|各国語表記 = うめはら かつひこ
|画像 =
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|就任日 = [[2005年]][[8月22日]]
|退任日 = [[2009年]][[8月21日]]
|退任理由 = タクシーチケット問題で市議会から問責決議され引責
}}
'''梅原 克彦'''(うめはら かつひこ、[[1954年]][[3月29日]] - )は、[[日本]]の[[官僚]]、[[政治家]]。[[2005年]]([[平成]]17年)から[[2009年]](平成21年)まで、[[仙台市|仙台市長]](第32期)を務めた。
 
私生活では、かねてより「[[劇団四季]]」のファンであったことを明かしている<ref>[http://shiki.jp/auto/www.shiki.gr.jp/navi/news/program/bb/ 劇団四季 四季なびgation] [[ミュージカル]]『[[美女と野獣]]』仙台公演・製作発表会見</ref>。
== 人物 ==
 
== 人物来歴 ==
[[仙台市]][[支倉町]]生まれ。梅原の両親は共に[[臨床医]]であり、[[東北大学医学部附属病院|東北大学医学部]][[内科学|内科]]に所属していた<ref>[http://shinbun.fan-miyagi.jp/article/article_20071201.php サイエンス・エンジェルへの期待と、中高生読者へのメッセージ 梅原克彦さん(仙台市長)] 『宮城の新聞』 2008年1月23日公開</ref>。梅原自身は[[宮城県仙台第一高等学校|仙台第一高等学校]]を経て、[[東京大学]][[法学部]]を卒業、[[通商産業省]](当時)に入省した。
 
大学入学前年の[[1972年]]([[昭和]]47年)に[[日中国交正常化]]が実現、その影響を受けた梅原は学生時代、第二外国語として[[中国語]]を学んだ。教材は共産党の指導文書であり、[[マルクス・レーニン主義]]や[[文化大革命]]に関する読書も多かったが、梅原には現在でも中国人の友人との交流があるという<ref name="a">市民の生活と安全のために 中国資本進出を拒否した仙台市長梅原克彦氏の「英断」「わが故郷に中華街は作らせない」( [[SAPIO]][http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20080912-01/1.htm 2008年8月20日・9月3日号] )</ref>。また、中国については官僚時代、[[アジア太平洋経済協力|APEC]]や[[ASEAN+3]]などにおいて、厳しい外交交渉を行った経験を持つ<ref name="a"/>。また、通産省時代から[[北朝鮮による日本人拉致問題]]の解決に取り組んでいた。
 
[[2005年]](平成17年)、前職の仙台市長・[[藤井黎]]の引退に伴う仙台市長選挙に、藤井市政の継承と[[仙台市地下鉄東西線]]の建設推進を公約に掲げて立候補した。梅原は、同地下鉄線建設推進の方針を掲げて当選した唯一の候補であったが、競合候補の元衆議院議員・[[鎌田さゆり]]([[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]])にも約6万票の大差をつけた得票で当選、仙台市長に就任した。当初は[[仙台市議会|市議会]]議員の7割以上から支持を得ていたが、就任後程なくして地元[[マスコミ]]からの批判が出始め、市長就任後8ヶ月間に行った5回の海外出張(うち3回に夫人同伴)が問題にされたほか、2008年(平成20年)[[5月]]には、選挙[[公約]]に従って実施した同市青葉区・片平丁小学校校庭の[[緑化]]が完成したものの<ref>『仙台・片平丁小の校庭芝生化 市内では初』(河北新報 2008年5月2日)、『転んでもふかふか 片平丁小の校庭芝生化完成』(河北新報2008年[[9月2日]])</ref>、その費用や維持費が当初見積もりよりも高額となったことなどが批判された<ref>青葉区の片平町小学校。総工費見込み2,300万円に対して2,500万円、9-1月の維持費見込み160万円に対して310万円など。また、その維持には児童やPTAの協力を要することが判明した</ref>。また、[[2009年]](平成21年)[[1月]]には、梅原の私邸の引越しの際に[[勤務時間]]内の仙台市職員を手伝わせていたことや<ref>2009年1月21日「[[仙台放送スーパーニュース]]」で紹介</ref>、自宅に持ち帰っていた文書の新居への移送に公用車を使用していたことなどが取り上げられた<ref>『公用車で転居「公私混同ない」強調 梅原仙台市長』(河北新報 2009年1月21日)</ref>。
私生活では、かねてより「[[劇団四季]]」のファンであったことを明かしている<ref>[http://shiki.jp/auto/www.shiki.gr.jp/navi/news/program/bb/ 劇団四季 四季なびgation] [[ミュージカル]]『[[美女と野獣]]』仙台公演・製作発表会見</ref>。
 
2009年(平成21年)[[7)7]]に告示された仙台市長選挙に出馬する意向を示していたが後述のタクシーチケット問題を受け出馬を断念した。同選挙には梅原の抜擢によって2007年から仙台市副市長を務めたのち辞職した[[奥山恵美子]]や、同じく仙台市副市長で[[医師]]の[[岩崎恵美子]]ら、新人6人が立候補した。16日、[[尿管結石]]による緊急入院から公務復帰した梅原は、岩崎への支持を表明<ref>『NNNリアルタイムみやぎ』2009年7月16日放送「今日から公務復帰 梅原市長が岩崎副市長支持表明」</ref>、「梅原市政の継承」を訴えていた岩崎もこれを歓迎した。この選挙では、多くの仙台市議会議員や、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]、[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]などの支援を受けた奥山が当選して仙台市長に就任、岩崎は次点であった。
== 仙台市長 ==
[[2005年]](平成17年)、前職の仙台市長・[[藤井黎]]の引退に伴う仙台市長選挙に、藤井市政の継承と[[仙台市地下鉄東西線]]の建設推進を公約に掲げて立候補した。梅原は、同地下鉄線建設推進の方針を掲げて当選した唯一の候補であったが、競合候補の元衆議院議員・[[鎌田さゆり]]([[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]])にも約6万票の大差をつけた得票で当選、仙台市長に就任した。
 
引退後の梅原は、元[[航空幕僚長]]・[[田母神俊雄]]の政治団体「[[頑張れ日本!全国行動委員会]]」に加入した。現在は、民間人の立場から東京都内を中心にデモ行進や演説会などを催す政治活動を行っている。
同年[[4月]]、[[中華人民共和国|中国]][[浙江省]]の[[投資ファンド]]が、同市[[太白区]]の再開発地区「[[あすと長町]]」に、「[[仙台空中中華街]]」と銘打った複合施設(床面積56,800平米)を[[2007年]](平成19年)に開業する計画が明らかになった<ref>『河北新報』 2005年4月13日報道</ref>。これに対して梅原は、[[龍宮|竜宮城]]を模した地上9階建ての建物に対する[[景観|景観問題]]や[[チャイナリスク]]などを理由に非協力を表明、この計画は実行されなかった。
 
2017年(平成29年)2月11日、同年7月告示の仙台市長選挙への出馬を検討していることを公表した<ref>{{Cite web | url = http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201702/20170212_11032.html| title = 〈仙台市長選〉梅原氏が出馬検討| publisher = 河北新報| date = 2017-02-12| accessdate = 2017-02-12}}</ref>。引退後の梅原は仙台市政から遠ざかっていたが、2016年(平成28年)には7年振りに仙台市制施行記念式に出席し、国際問題に関する勉強会を開催するなど仙台市内での活動を活発化させていた<ref>{{Cite web | url = http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201607/20160705_11037.html| title = 来夏市長選への布石?仙台市式典に梅原前市長| publisher = 河北新報| date = 2016-07-05| accessdate = 2017-02-12}}</ref><ref>{{Cite web | url = http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201702/20170208_11033.html| title = 〈仙台市長選〉前市長の梅原氏出馬に意欲?| publisher = 河北新報| date = 2017-02-08| accessdate = 2017-02-12}}</ref>。
また、市立小学校全校校舎の[[耐震構造|耐震化]]を全国に先がけて完成させたほか<ref name="ronpu">[http://www.business-i.jp/news/special-page/ronfu/200901190003o.nwc 仙台市長・梅原克彦 首長に必要な予見力と想像力] 特集・論風 『フジサンケイビジネスアイ』 2009年1月19日、2010年4月22日閲覧</ref>、[[2008年]](平成20年)[[10月]]には、家庭ごみなどの回収の有料化を実施した<ref name="ronpu"/>。さらに、仙台の[[伝統文化]]を重視する方針から、[[住居表示]]から消失した歴史的町名復活の検討を行った<ref>[http://www.city.sendai.jp/shimin/kusei/rekishi_cf/pdf/shiryou3-2-2.pdf 金沢視察レポート] 仙台市歴史的町名復活検討委員会(平成18年10月)</ref>([[旧町名復活運動]])。
 
== 仙台市長 ==
当初は[[仙台市議会|市議会]]議員の7割以上から支持を得ていたが、就任後程なくして地元[[マスコミ]]からの批判が出始め、市長就任後8ヶ月間に行った5回の海外出張(うち3回に夫人同伴)が問題にされたほか、2008年(平成20年)[[5月]]には、選挙[[公約]]に従って実施した同市青葉区・片平丁小学校校庭の[[緑化]]が完成したものの<ref>『仙台・片平丁小の校庭芝生化 市内では初』(河北新報 2008年5月2日)、『転んでもふかふか 片平丁小の校庭芝生化完成』(河北新報2008年[[9月2日]])</ref>、その費用や維持費が当初見積もりよりも高額となったことなどが批判された<ref>青葉区の片平町小学校。総工費見込み2,300万円に対して2,500万円、9-1月の維持費見込み160万円に対して310万円など。また、その維持には児童やPTAの協力を要することが判明した</ref>。また、[[2009年]](平成21年)[[1月]]には、梅原の私邸の引越しの際に[[勤務時間]]内の仙台市職員を手伝わせていたことや<ref>2009年1月21日「[[仙台放送スーパーニュース]]」で紹介</ref>、自宅に持ち帰っていた文書の新居への移送に公用車を使用していたことなどが取り上げられた<ref>『公用車で転居「公私混同ない」強調 梅原仙台市長』(河北新報 2009年1月21日)</ref>。
 
<!--*仙台地下鉄東西線工事に伴う[[青葉通り]]の[[ケヤキ|ケヤキ並木]]伐採について、「『市長さん、市長さん。あなたのことは、子供の時から知っていますよ』樹齢50年以上の老木です。『できれば伐採しないで、どこかに植え替えてください』と、木の精たちが私に語りかけてきました」と発言し、話題となった。仙台市議会議員からは『[[青葉山 (仙台市)|青葉山]]の精の声は聞かないのか』([[朝日新聞]]宮城版より)、出身校である仙台一高の桜が工事で伐採されることに関して[[河北新報]]から『桜の精は市長に何か言っていたかしら』とそれぞれ皮肉られた。:これらの記述、意味不明のためコメントアウト。復活の場合は事情背景を説明のうえ、簡潔に願います-->
<!--* [[情報保全隊]]の市民団体に対する調査活動を支持。:意味不明のためコメントアウト。復活の場合には、日時や事情背景を付記願います-->
=== 県立高校の男女共学化関連 ===
[[1993年]](平成5年)に就任した宮城県[[知事]]・[[浅野史郎]]は、県立高校の一律[[男女共学]]化計画を推し進めていた。梅原は、自身の出身校である[[宮城県仙台第一高等学校|仙台一高]](男子校として設立)の共学化に反対し、記者会見では「県教育史に残る歴史的汚点」、「男子校であることが伝統」と述べていた。
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なお、宮城県立高校の一律男女共学化に反対していた梅原であるが、仙台市立高校の男女共学化に対しては推進姿勢であった<ref>仙台商業高校と仙台女子商業高校の統合・共学化について、2005年「仙台市立高等学校教育検討委員会」が「仙台市立高等学校のあるべき姿について」という答申に基づき、市教育委員会では共学化を進めており、この答申に反対することなく進めてきた。[http://www.city.sendai.jp/soumu/kouhou/press/09-02-10/outou090210.html 2009年2月10日 仙台市記者会見]</ref>。
 
=== その他の施策 ===
2005[[4月]]、[[中華人民共和国|中国]][[浙江省]]の[[投資ファンド]]が、同市[[太白区]]の再開発地区「[[あすと長町]]」に、「[[仙台空中中華街]]」と銘打った複合施設(床面積56,800平米)を[[2007年]](平成19年)に開業する計画が明らかになった<ref>『河北新報』 2005年4月13日報道</ref>。これに対して梅原は、[[龍宮|竜宮城]]を模した地上9階建ての建物に対する[[景観|景観問題]]や[[チャイナリスク]]などを理由に非協力を表明、この計画は実行されなかった。
 
また、市立小学校全校校舎の[[耐震構造|耐震化]]を全国に先がけて完成させたほか<ref name="ronpu">[http://www.business-i.jp/news/special-page/ronfu/200901190003o.nwc 仙台市長・梅原克彦 首長に必要な予見力と想像力] 特集・論風 『フジサンケイビジネスアイ』 2009年1月19日、2010年4月22日閲覧</ref>、[[2008年]](平成20年)[[10月]]には、家庭ごみなどの回収の有料化を実施した<ref name="ronpu"/>。さらに、仙台の[[伝統文化]]を重視する方針から、[[住居表示]]から消失した歴史的町名復活の検討を行った<ref>[http://www.city.sendai.jp/shimin/kusei/rekishi_cf/pdf/shiryou3-2-2.pdf 金沢視察レポート] 仙台市歴史的町名復活検討委員会(平成18年10月)</ref>([[旧町名復活運動]])。
 
=== タクシーチケット問題 ===
梅原は市長在任中、[[日本のタクシー#支払方法|タクシーチケット]]の不適切な使用を問題とされ、これは梅原が市長出馬を断念する主因となった。
 
梅原が市長に就任した[[2005年]](平成17年)[[5)5]]から[[2008年]](平成20年)[[9)9]]末までに市長の名前で使ったタクシーチケットのうち、行き先を記入していなかった1,364枚分、総額約221万円を市に返納するとともに<ref>『行き先記入なしでタクシー券利用、仙台市長が221万円返納』([[読売新聞]]2008年12月2日)</ref>、[[2009年]](平成21年)[[1)1]]から3カ月間、給与を2分の1に減額された。
 
さらに、これらタクシーチケットのなかには、梅原の東京出張中に仙台市内で使われていたものもあったことから、梅原による他者へのタクシーチケット譲渡が発覚した<ref name="b">仙台放送スーパーニュース「梅原市長タクシーチケット問題 随時監査で「公務」は54枚」(2009年[[3月30日]]放映)</ref>。また、仙台市の[[監査委員]]が、市長名義で使われたタクシーチケット2009年(平成21年)[[3月]]までに[[監査]]した結果、梅原が公務で使用したと認められたのは全体の1割に満たない54枚であり、公務以外での使用疑いが63枚、確認が取れないものが573枚であった<ref name="b"/>。この報告を受けての記者会見で梅原は、「やましいことは何もないが、3年以上経っておち、記憶が曖昧」などとした<ref name="b"/>。
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同年[[6月13日]]、梅原は頭髪を丸刈りにしたうえ、一連のタクシーチケット問題について謝罪した<ref>[http://mainichi.jp/select/seiji/news/20090614k0000m010066000c.html 仙台市長選:梅原市長が丸刈り頭で出馬表明会見] 毎日新聞 2009年6月13日閲覧</ref>。同24日、市議会は梅原に対する[[問責決議]]案を可決<ref>賛成47票、反対4票、棄権7票であった</ref>、仙台市長への問責決議は、記録がある[[1958年]](昭和33年)以降初めてであったが、これによって梅原に対する議会の不支持は決定的となった<ref>[[山陽新聞]]ニュース2009年6月24日『仙台市長の問責決議可決 タクシー券使用問題で』</ref>。梅原は同年[[7月1日]]、すでに表明していた次期仙台市長選挙への立候補を取り止め、一期限りで市長職を辞めることを表明することとなった<ref>[http://sankei.jp.msn.com/politics/local/090701/lcl0907011659003-n1.htm 仙台市長が出馬断念] 産経新聞 2009年7月1日閲覧</ref>。
 
=== 梅原引退後の市長選 ===
タクシーチケット問題によって再選への立候補を取り止めた梅原だが、ほかには、街頭演説を行った際に市民から、「応援しない。今さら何やっているんだ」との厳しい声を受けたことや、必勝を祈願して選挙事務所に飾られる、支援者からの「為書き」が殆ど集まっていないことなども、再選断念の理由となっていた<ref>『梅原氏出馬断念/タクシー券で「修復不可」』([[朝日新聞]]宮城県内版,[[2009年]][[7月2日]]付)</ref>。また、梅原を支持していた市議会議員による「以前から出馬をやめるなら早いうちがいいと忠告していた。本人が決めたことならしょうがない」とのコメントも報じられた<ref>『梅原氏 出馬断念揺れる市政 新人争う構図に』([[読売新聞]]宮城県内版,[[2009年]][[7月2日]]付)</ref>。
 
== 経歴年譜 ==
2009年(平成21年)[[7月]]に告示された仙台市長選挙には、梅原の抜擢によって2007年から仙台市副市長を務めたのち辞職した[[奥山恵美子]]や、同じく仙台市副市長で[[医師]]の[[岩崎恵美子]]ら、新人6人が立候補した。同16日、[[尿管結石]]による緊急入院から公務復帰した梅原は、岩崎への支持を表明<ref>『NNNリアルタイムみやぎ』2009年7月16日放送「今日から公務復帰 梅原市長が岩崎副市長支持表明」</ref>、「梅原市政の継承」を訴えていた岩崎もこれを歓迎した。
 
この選挙では、多くの仙台市議会議員や、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]、[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]などの支援を受けた奥山が当選して仙台市長に就任、岩崎は次点であった。
 
=== 現在の立場 ===
引退後の梅原は、前航空幕僚長・[[田母神俊雄]]の政治団体「[[頑張れ日本!全国行動委員会]]」に加入した。現在は、民間人の立場から、東京都内を中心にデモ行進や演説会などを催す政治活動を行っている。
 
== 経歴 ==
* [[1966年]]([[昭和]]41年) - [[東北大学]][[教育学部]]附属小学校(現[[宮城教育大学附属小学校]])卒業
* [[1969年]](昭和44年) - [[宮城教育大学附属中学校]]卒業
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== 関連項目 ==
* [[土井喜美夫]]梅原と同時期にタクシーチケット私的流用が問題となった当時の石巻市長)
* [[志太勤]] [http://www.kibounippon.jp/ 希望日本投票者の会] 代表[http://ameblo.jp/tsojapan/entry-11401057442.html]
* [[倉山満]] [http://www.kibounippon.jp/kri/ 希望日本研究所] 所長[http://ameblo.jp/tsojapan/entry-11401057442.html]
* [[上念司]] [http://www.kibounippon.jp/kri/ 希望日本研究所] 客員研究員[http://ameblo.jp/tsojapan/entry-11401057442.html]
 
== 外部リンク ==
* [http://www.yacco-net.com/umekatu/ 「梅カツ応援隊」中田支部による紹介]{{リンク切れ|date=2012年6月}}
* [http://www.kibounippon.jp/kri/ 希望日本研究所]