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'''天川原町'''(あまがわばらまち)は、[[群馬県]][[前橋市]]の地名。天川原町と天川原町一丁目から天川原町二丁目がある。郵便番号は371-0803<ref>{{Cite web |url=http://www.post.japanpost.jp/cgi-zip/zipcode.php?pref=10&city=1102010&id=36364|title=天川原町の郵便番号 |publisher=[[日本郵便]] |accessdate=2016-03-22}}</ref>。2013年現在の面積は0.47km<sup>2</sup><ref name="人口">[http://www.city.maebashi.gunma.jp/sisei/533/002/p001138.html 第2章 人口] - [[前橋市]] 2016年03月22日閲覧。</ref>。
 
== 地理 ==
天川原町一丁目・天川原町二丁目が面積、人口ともにほとんどを占め、天川原町は0.0016<sup>2</sup>と小さく、人口は0人である。<ref name="人口"/><ref name="kyu">前橋市商工会議所機関紙「商工まえばし」の別冊「旧町名への旅」[http://www.maebashi-cci.or.jp/assets/files/syoukou_maebashi/kyuchomei_46-49.pdf]</ref>
天川原町は0.0016<sup>2</sup>と小さく、人口は0人である。
 
== 歴史 ==
江戸時代の天川原村が天川原町になったものである。東隣の天川村(のちの[[天川町 (前橋市)|天川町]])と同じくかつての[[利根川]](利根川流路変更以降は[[広瀬川 (群馬県)|広瀬川]]の流路)を天川と呼び、その近くの原っぱを天川原と呼んだことに由来すると推測されている。
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また前橋城の城下町たる片貝町・十八郷町(のちに[[三河町 (前橋市)|三河町]]西部)、榎町・萱屋町・紺屋町(のちに[[千代田町 (前橋市)|千代田町]])、鍛冶町・白銀町(のち本町)、[[本町 (前橋市)|本町]]は天川原村の内であったといい、これらの町に天川原村から移住したか、天川原村から町の土地が提供されたかと推測されている。
 
[[1889年]]、[[町村制]]施行により天川原村は大半が[[東群馬郡]][[上川淵村]]に、一部が前橋町になった。[[1892年]]に前橋の[[市制]][施行に伴い前橋市の大字天川原、1901年に上川淵村の天川原が周辺地区とともに前橋市へ編入、1910年に前橋市天川原町となった。
 
[[1962年]](昭和37年)[[住居表示に関する法律]]の制定に伴い、[[1965年]]から[[1967年]]にかけて前橋市内の町名が新町名に変更され、天川原町の大半も新地名に移行した。[[1966年]]、天川原町の[[両毛線]]より北は前橋市本町へ合流、1967年、旧天川原町中部は[[群馬県道2号前橋館林線|県道2号線]]より西が前代田や市之坪・宗甫分町とともに[[南町 (前橋市)|南町]]、東側が天川町・高田町とともに[[文京町 (前橋市)|文京町]]となって分離した。このため南部に旧町名が残ることになった。<ref name="kyu"/>
 
== 教育 ==
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=== バス ===
前橋市のコミュニティバス・[[マイバス]]の東循環線が通っている。
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=== 道路 ===
[[国道]]、[[県道]]ともに同町を通っていない。