「那智 (重巡洋艦)」の版間の差分

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10月29日、マニラはアメリカ軍機動部隊艦載機の空襲を受け那智、熊野、青葉も目標となってしまった<ref name="巡洋艦戦記191"/>。那智の飛行甲板に小型爆弾が命中<ref>[[#S1905熊野日誌(4)]]p.40『10月29日|1540頃|F6F SB2C約40機発見約半数ハ「キャビテ」在泊艦船(本那智青葉)攻撃 那智飛行甲板爆弾命中火災F6F×6本艦ヘ急爆スルモ2機ヲ激津(確実)他撃退被害ナシ魚雷1本投棄ス』</ref>。魚雷2本が誘爆し、那智に損傷を与えた<ref>[[#那智武蔵日誌(捷号)]]p.10『10.29|飛行甲板(破孔3)/発射甲板(破孔1)/飛行科倉庫3.飛行科軽質油庫1(全壊)/水雷科倉庫3.被服庫.後部見張所(全壊)/後部機銃員待機所.後部電信室.飛行科倉庫1(焼失)/後部電信室.内務科倉庫3(小破)|50瓩程度爆弾ノ直撃及魚雷2本誘爆|現状ノ儘』</ref>。マニラの状況を受けて熊野は台湾への退避準備をはじめた<ref name="巡洋艦戦記191"/><ref>[[#S1905熊野日誌(4)]]p.40『10月29日|1645|敵機撃退空襲状況ニ鑑ミ高雄回航ヲ決意急速回航準備作業開始』</ref>。
 
[[File:Nachi sunk3.jpg|thumb|250px|right|艦首がもぎとられ、第四砲塔付近から船体をへし折りながら沈没する那智]]
10月31日、小沢機動部隊に所属してレイテ沖海戦に参加したのち[[奄美大島]]に停泊していた軽巡[[大淀 (軽巡洋艦)|大淀]]と駆逐艦[[若月 (駆逐艦)|若月]]がマニラに到着、大淀乗組員達は艦首のない那智の姿を目撃した<ref>[[#16歳の海戦]]317頁</ref>。
11月1日、那智の水上偵察機はセミララ島に擱座した駆逐艦[[早霜 (駆逐艦)|早霜]](栗田艦隊所属)を発見、不知火の最後を聴き出した<ref>[[#S1909一水戦日誌(3)]]p.11『11月1日|那智飛行機|0630カヒデ弯カナカオ基地発駆逐艦不知火ノ捜索ヲ実施ス/1015セミララ弯ニ擱座セル駆逐艦早霜ヲ発見着水不知火消息ヲ尋ネタル處セミララ島西方1000米ニテ沈没セルコト判明セリ|戦果:早霜発見、不知火ノ消息判明』</ref>。11月5日早朝、重巡熊野、青葉はマタ31輸送船団と共にマニラを出発、接岸航路で北上を開始した<ref name="巡洋艦戦記191"/><ref>[[#S1905熊野日誌(4)]]p.43『11月5日|0100頃|高雄ニ向ケ「マニラ」発/0400頃|船団及本艦青葉終結/0500頃|「マニラ」湾口通過接岸北上始ム實速8節』</ref>。午前7時40分、熊野、青葉はマニラ上空にアメリカ軍機数十機を認める<ref>[[#S1905熊野日誌(4)]]p.43『11月5日0740頃/F6F×2ヲ発見引続キ「マニラ」上空方面ニ戦爆数十機ヲ認ムルモ来襲セズ』</ref>。また、大淀も南西方面艦隊司令部と相談の結果、5日未明にマニラ湾を発ちボルネオ島へ向かっていた<ref>[[#16歳の海戦]]319-320頁</ref>。