「ルシタニア (客船)」の版間の差分

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ルシタニアの船名の由来は、[[古代ローマ]][[属州]]の1つであった「[[ルシタニア]]」である。キュナード・ラインによって発注され、ジョン・ブラウン・アンド・カンパニーの367番ドックで[[1904年]][[6月16日]]に建造が始まり、1906年6月7日木曜日に進水した。<ref name = "Lusitania">[http://www.atlanticliners.com/lusitania_home.htm#Anchor-Q:-36665 Lusitania], Atlantic Liner.</ref><ref name = "Lost">[http://www.lostliners.com/Liners/Cunard/Lusitania/Images/constr_launch_invite.html Lost Liners].</ref>
 
ルシタニアと姉妹船の[[モーリタニア (客船・初代)|モーリタニア]]が建造された時期には、[[ブルーリボン賞 (船舶)|ブルーリボン賞]]を巡る客船のスピード競争が[[イギリス]]と[[ドイツ]]の間で繰り広げられていた。[[20世紀]]初頭、このブルーリボン賞はドイツが独占しており、イギリスはこれを取り戻そうと必死であった。同時に資産家であった[[ジョン・モルガン]]は、北[[大西洋]]を航路とする海運企業を買収することを計画しており、その中にはキュナード・ラインのライバル企業[[ホワイト・スター・ライン]]社も含まれていた。これを受けキュナード・ラインは[[1903年]]、[[アーサー・バルフォア|バルフォア]]政権から260万[[ポンド (通貨)|ポンド]]の援助を受けてルシタニア・モーリタニアの2隻を建造することを発表し、イギリス政府も[[有事]]の際には軍徴用されし[[仮装巡洋艦]]で使用することを前提に15万ポンドの維持費の援助をすると発表した。
 
[[1907年]][[7月27日]]、ルシタニアのテストが始まった。この時のスピード記録はそれまでの客船の歴史を塗り替えるものだったが一連の試験航海で最高々速度で航行すると激しい振動が発生し対策で船体の補強追加工事を行いルシタニアは、最終的に同年[[8月26日]]にキュナード・ラインに引き渡された。
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=== オリンピック級客船との比較 ===
キュナード・ラインのルシタニア級とホワイト・スター・ラインのオリンピック級では船体構造とエンジン・システムが対称的に異なった。
水密区画の設計はオリンピック級は大きな防水区画を備えていただけであったが、ルシタニア級は防水区画を空間単位で分け、とりわけ片舷の損傷を考えての縦通隔壁としている。建造で政府から条件付(仮装巡洋艦使用前提)で援助を受けた影響もあり当時としては進歩的な防水隔壁が整備されていた。[[石炭]]庫や[[ボイラー]]など重量物を船体外側に配置させた。ルシタニア級はオリンピック級と違い、[[救命ボート]]を乗客の人数に十分な数を積んでいた。<ref name = "Inquiry">
[http://www.titanicinquiry.com/BOTInq/BOTInq19Wilding01.php Inquiry].</ref>
[[ファイル:Chelsea-lusitania.png|left|thumb|絵葉書に描かれたルシタニア]]