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'''アビヤム'''は、[[ユダ王国]]の第2代の王。アビヤムは『[[列王記]]』での呼び方で、『[[歴代誌]]12章16節では'''アビヤ'''と呼ばれている。
 
[[レハブアム]]の子で、母が[[ソロモン]]の異母兄[[アブサロム]]の孫娘マアカ(ミカヤ)であるため、アブサロムの曾孫でもある。紀元前913年に即位し、紀元前910年まで<ref>原文では「ヤロブアムの在位18年目にユダの王に即位」「3年間国を治めた」とある</ref>[[エルサレム]]で統治した。
 
上記の出自と北イスラエルの王[[ヤロブアム1世|ヤロブアム]]と紛争が絶えなかったという点を除き、列王記と歴代誌で大きく評価が異なる王である<ref>ユダ王では他に[[マナセ (ユダ王)|マナセ]]も列王記と歴代誌で評価が大きく異なる。</ref>。
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列王記(上巻15章)では、アビヤムは父が犯したすべての罪の中を歩み、父<ref>前述の「父」と違い、こちらは「先祖」の意味。 ヘブライ語では尊属全般を父親・母親と同じ呼称で呼ぶことがある。</ref>ダビデの心と違い主に忠実ではなかったが、その[[ダビデ]]に免じて国を滅ばされることだけはなく、その後彼はダビデの町に葬られ、息子の[[アサ (ユダ王)|アサ]]が王位を継いだとされている。
 
一方歴代誌(下巻13章)では、むしろ主に忠実な人間とされ、エフライム山中において戦闘の直前にヤブロアムの「離反・金の子牛の製造・レヴィ人の追放」を批難し、ユダ軍40万人、北イスラエル軍80万人という状況下で、なおかつ北イスラエル軍の伏兵に背後に回られるという危機の中、神が味方に付いてヤラベアムと北イスラエルの人々をアビヤとユダの前で打った<ref>具体的にどういったことが起きたのかは書かれていない。</ref>、そのまま北イスラエル軍は敗走し、勢いに乗ったユダ軍はベテル・エシャナ・エフロンの3つの大都市とその近隣を制圧し、ヤブロアムは最後まで勢力を回復できないまま主に打たれて死んだ<ref>急死を意味する表現。列王記ではヤロブアムの死について特にこの表現はされていない。</ref>ったのに対し、彼には14人の妻ができ、22人の息子と16人の娘が生まれるなど栄えたとされている。
 
==参考文献==