「ラバウル小唄」の版間の差分

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==概要==
この歌は、元々[[1940年]]に[[JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント|ビクター]]より発売の、'''南洋航路'''(作詞作曲は同じ人物)が元歌である。
歌詞に[[太平洋戦争]]の[[大日本帝国海軍|日本海軍]]の拠点であった[[ラバウル]]の地名が入っていたこともあり、南方から撤退する兵士たちによって好んで歌われた。
このため、戦争末期に日本で流行したため、[[レコード]]として広まったというより、兵士たちが広めたといえる。
 
==歌詞==
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==その他==
よく[[ラバウル海軍航空隊]]と間違われることがあるが、全くの別物で、あちらが[[ラバウル航空隊]]を歌ったものであり、こちらの歌は海の男や、ラバウルへの船旅のことを歌ったものだと言える。
なお、[[台湾]]の日本軍歌DVDでは、どちらとも[[三鷹淳]]によってカバーされたものが存在するが、映像はほとんどが[[大日本帝国陸軍|陸軍]]機か[[|特攻隊]]のものであり、ラバウル航空隊とは全く異なるものになってしまっている。
 
==関連項目==
*[[ラバウル航空隊]]
*[[さらばラバウル]]  1954年[[東宝]]製作の映画。題名はこの歌からとられている。
 
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