「松本幸四郎 (7代目)」の版間の差分

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[[片岡仁左衛門 (13代目)|十三代目片岡仁左衛門]]の自伝『仁左衛門楽我記』には「どんな役でも持って来られたら私は快く出る。人は高麗屋はなんだってあんな役にまで出るのだろう? あんな役はことわればいいとごひいき筋でも言ってくださるが、出てくださいと言われることは、仲間にきらわれていない証拠ですよ。私の演し物の幕に幸四郎はださないように、と言われるようになっちゃおしまいだ。私のような者でも出て欲しいと頼まれることは、ありがたいことだと思うの」 と、その温厚な人柄を表す言葉が記されている。
 
非常に生真面目な上に辛抱強く、文字通り「体を張る」人物でもあった。男である[[尾上松緑 (2代目)|二代目松緑]]の著書『松緑芸話』(講談社、1989年/講談社文庫、1992年)には、『茨木』の渡辺綱を演じた際に、幕切れの見得で体を伸ばし過ぎて心筋梗塞を起こしたことが紹介されている。 
 
その性格のためか、若い頃はあまり俊才とは見られていなかったようで、[[田村成義]]著「藝界通信 無線電話」中で、著者は冥界から電話で呼び出された師匠・九代目[[市川團十郎]]に「あれがもう少し物を早く呑み込んでくれると、ちょっと見られるようになりましょう」「少しはセリフ覚えがよくなりましたか?」などと心配させている。