「浜佐呂間駅」の版間の差分

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[[ファイル:HamaSaroma eki.jpg|right|thumb|1977年の浜佐呂間駅と周囲約500m範囲。右上が網走方面。千鳥式ホーム2面2線、駅舎横の貨物ホームに引込み線を有している。この時点ではまだ無人化されていないが、相対側ホームはすでに草生している。駅の中湧別側に建てられた数軒の職員官舎が目立つ。{{国土航空写真}}]]
 
'''浜佐呂間駅'''(はまさろまえき)は、かつて[[北海道]]([[網走支庁]])[[常呂郡]][[佐呂間町]]字浜佐呂間にあっ設置されてい[[日本国有鉄道]](国鉄)[[湧網線]]の[[鉄道駅|駅]]([[廃駅]])である。[[電報略号 (鉄道)|電報略号]]は'''サロ'''。湧網線の[[廃線]]に伴い[[1987年]](昭和62年)[[3月20日]]に廃駅となった。
 
== 歴史 ==
* [[1952年]](昭和27年)[[12月6日]] - [[日本国有鉄道]]湧網東線常呂駅 - 当駅間延伸開通に伴い'''下佐呂間駅'''(しもさろまえき)として開業。[[日本の鉄道駅#一般駅|一般駅]]。
* [[1953年]](昭和28年)[[10月22日]] - 佐呂間駅 - 当駅間延伸開通(全通)に伴い中間駅となる。また、中湧別駅 - 網走駅間全通に伴い名を'''湧網線'''に改称、それに伴いより同線の駅となる。
* [[1963年]](昭和38年)[[10月1日]] - '''浜佐呂間駅'''に改称。
* [[1972年]](昭和47年)[[2月8日]] - 貨物取扱い廃止。
* [[1982年]](昭和57年)[[3月29日]] - [[チッキ|荷物]]取扱い廃止。同時に無人([[日本の鉄道駅#簡易委託駅|簡易委託]])化(駅近隣の個人)。
* [[1987年]](昭和62年)[[3月19日]] - 湧網線の廃止に伴いとなる。
 
== 駅構造 ==
廃止時点で、[[プラットホーム#単式ホーム|単式ホーム]]1面1線を有する[[地上駅]]であった。ホームは線路の西側(網走方面に向かって左手側)に存在した<ref name="bunken1983">{{Cite book|和書|editor=[[宮脇俊三]] |others=[[原田勝正]] |title=国鉄全線各駅停車1 北海道690駅 |date=1983-7 |publisher=[[小学館]] |isbn=978-4093951012 |page=161}}</ref>。そのほか本線の網走方から分岐し駅舎北側への[[停車場#側線|側線]]を1線有していた<ref name="bunken1983"/>。かつては[[プラットホーム#相対式ホーム|相対式ホーム]]2面2線を有する[[列車交換]]可能な[[交換駅]]であった。1983年(昭和58年)時点では使われなくなった対向ホーム側の1線は交換設備運用廃止後も[[分岐器|転轍機]]が中湧別方、網走方の両方向とも撤去された形で側線として残っていた(ホームも撤去されていた)<ref name="bunken1983"/>。ホーム前後の線路は転轍機の名残で湾曲していた<ref name="bunken1983"/>。
 
[[無人駅]]となっていたが、[[日本の鉄道駅#有人駅|有人駅]]時代の駅舎が残っていた。駅舎は構内の東側に位置しホームに接していた<ref name="bunken1983"/>。[[木構造 (建築)|木造]][[モルタル]]で白く[[塗装]]された駅舎であった<ref name="bunken1983"/>。駅自体は完全無人であるが、駅近隣の個人が[[乗車券#鉄道|乗車券]]を販売している簡易委託駅となっていた。受託者は駅附近の[[民宿]]経営者で、駅舎内で宿泊案内を行う場合もあったという<ref name="bunken1983"/>。
 
== 駅名の由来 ==
当駅所在する地名より。地名は、佐呂間より浜に近いために<ref name="bunken2004N">{{Cite book|和書|author=太田幸夫 |title=北海道の駅878ものがたり 駅名のルーツ探究 |date=2004-2 |publisher=富士コンテム |isbn=978-4893915498 |page=169}}</ref>「浜」を冠した。
 
旧駅名の下佐呂間(しもさろま)は、佐呂間より佐呂間別の下流に位置しているため<ref name="bunken2004N"/>、「下」を冠した。