「ジャーニー (バンド)」の版間の差分

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ニール・ショーン(ギター)、スティーヴ・ペリー(ボーカル)、ロス・ヴァロリー(ベース)、スティーヴ・スミス(ドラム)、ジョナサン・ケイン(キーボード)の5人体制となった。ヒット作となるアルバムがリリースされたのもこの時期である。[[1981年]]に発表されたアルバム『[[エスケイプ (ジャーニーのアルバム)|エスケイプ]]』は、全米1位を獲得。[[PAエンジニア|ライブ・ステージの音響担当]]から[[レコーディング・エンジニア]]に昇格したケヴィン・エルソン(このアルバムの前作である『[[:en:Captured (Journey album)|ライブ・エナジー]](原題:Caputured)』ではプロデュースを担当)とコンビを組んだ後に名プロデューサーと讚されるようになる[[マイク・ストーン]]([[クイーン (バンド)|クイーン]]のプロデュースで一躍名を馳せた[[ロイ・トーマス・ベイカー]]の愛弟子で、自らもクイーンの<!--4枚目、5枚目、6枚目-->多くのアルバムでレコーディング・エンジニアを担当していた)、この2人の「生で演奏している音の雰囲気を殺さず音盤にする」力量が、レコード(当時)にはなかなか収め切れなかったライブ・バンドだったジャーニーの魅力を遺漏無く封じ込めることに成功したのも、彼らの出世を大きく後押ししたことは特記しておく必要があると思われる。なお、後にマイク・ストーンは、ジャーニーとの仕事で培ったレコーディングのノウハウをより洗練させ[[エイジア]]の成功に大きく貢献した。金銭的に余裕が出来たからか、ニール・ショーンが[[ヤン・ハマー]]とのものを皮切りに独自のプロジェクトを立ち上げる。
 
ちなみに、バンドの作品中日本で最も有名なバラードの一つである「オープン・アームズ」もこのアルバムに収録されているが、この曲はジョナサンが[[ベイビーズ]]時代に書き起こしたものの、当時のバンドのボーカリストである[[ジョン・ウェイト]]の反対に遭い陽の目を見ることのなかったものだ。シングルでジャーニー最高位の[[Billboard Hot 100]]で全米2位、[[キャッシュボックス]]、[[レコードワールド]]、[[ラジオ&レコーズ]]では全米1位、そしてのちに[[マライア・キャリー]]の手になる[[カバー|カヴァー]]のリバイバル・ヒットと、記録的な一曲になった。
 
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