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Sakakik (会話 | 投稿記録)
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その名の由来、柄の長さに複数の説がある。
 
{{Quote|槍の身長きに、柄ふとく、二丈計なるに、青貝をすつたり、蜻蛉の飛来て、忽ちに触れて切れたれば、かくぞ名付しなる。|[[藩翰譜]] 第一巻}}
[[藩翰譜]] 第一巻
槍の身長きに、柄ふとく、二丈計なるに、青貝をすつたり、蜻蛉の飛来て、忽ちに触れて切れたれば、かくぞ名付しなる。
 
{{Quote|忠勝は槍術に秀で、一度槍を振れば、乱舞する蜻蛉を切り落とす、との定評があったので、所持する槍を「蜻蛉切り」と名付けられた。藤原正真の作で、身長一尺四寸五分、幅一寸二分、重ね三分半、柄は黒漆で長さ一丈三寸であった。|本多平八郎忠勝傳 P.9}}
本多平八郎忠勝傳 P.9
忠勝は槍術に秀で、一度槍を振れば、乱舞する蜻蛉を切り落とす、との定評があったので、所持する槍を「蜻蛉切り」と名付けられた。藤原正真の作で、身長一尺四寸五分、幅一寸二分、重ね三分半、柄は黒漆で長さ一丈三寸であった。
 
[[岡崎市史]] 第貳巻 P.329
一、蜻蛉剪槍は長一尺四寸二分、笹身三角、参州田原ノ住人藤原正眞作也、銘ニハ藤原正眞ト有之、穂一ハイニ樋アリ、倶利伽羅剣イ龍、上下ニ梵字五ツ彫物アリ、鞘は身形ノ黒塗也、柄はシホゼノ打柄長サ一丈三尺、白銀具眞鍮色繪菊桐ノ紋アリ。
 
{{Quote|一、蜻蛉剪槍は長一尺四寸二分、笹身三角、参州田原ノ住人藤原正眞作也、銘ニハ藤原正眞ト有之、穂一ハイニ樋アリ、倶利伽羅剣イ龍、上下ニ梵字五ツ彫物アリ、鞘は身形ノ黒塗也、柄はシホゼノ打柄長サ一丈三尺、白銀具眞鍮色繪菊桐ノ紋アリ。|[[岡崎市史]] 第貳巻 P.329}}
 
黒糸威胴丸具足(鹿角の兜)と共に[[本多氏|本多家]]に伝わったが、[[第二次世界大戦]]時に同家を離れ、その後、沼津市の実業家・収集家の矢部利雄(1905-1996)が入手した。[[愛知県]][[岡崎市]]の[[岡崎城]]内「[[三河武士のやかた家康館]]」にレプリカが展示されている。三島市の[[佐野美術館]]に[[寄託]]され、2015年1月から11年ぶりに展示された<ref>{{Cite news |title=天下の名槍「蜻蛉切」、11年ぶり公開 本多忠勝が愛用 |newspaper=朝日新聞 |date=2015-01-09 |author=杉本崇 |url=http://www.asahi.com/articles/ASH172S5CH17UTPB001.html |accessdate=2015-05-11}}</ref>。