「山形県立中央病院」の版間の差分

削除された内容 追加された内容
加筆、出典。
m編集の要約なし
24行目:
 
== 概要 ==
[[1897年]]8月、[[大日本帝国陸軍|陸軍]][[歩兵第32連隊]]が[[山形城]]址へ駐屯するに当たり、同所に開院した山形衛戍病院を始まりとし、その後、山形陸軍病院とされるした<ref name=ennkaku />。
 
終戦によって[[1945年]]12月には、国立山形病院として衣替えされ、[[1953年]]4月、山形県に運営が移管され山形県立山形病院となる。[[1963年]]4月山形県立中央病院と改称。[[1976年]]1月、[[山形大学医学部・大学院医学系研究科|山形大学医学部]]の設置によって関連教育病院となる<ref name=ennkaku>{{cite web |title=沿革|author= |agency=|publisher=山形県立中央病院|date=|url=http://www.ypch.gr.jp/aboutus/history/index.html|accessdate=2017-3-3}}</ref>。
 
[[2001年]]5月1日、山形市桜町に所在した旧病院(現:県民ふれあい広場が整備)が老朽化したことから[[山形自動車道]][[山形北インターチェンジ|山形北IC]]近接し、県内を縦断する[[幹線道路]]である[[国道13号]]も至近に整備されていた同市北部の青柳地区に新築移転して診察をした<ref name=mainiti>「県立中央病院、ホスピス病棟や無菌室など公開 きょうまで」『毎日新聞山形版』2001年4月15日</ref>。翌年11月9日には、山形自動車道に新たに設置された[[救急車緊急退出路]]の運用も開始されたことから[[救急車]]によって直接中央病院への進入が可能となった。
 
新病院には県内初の[[ホスピス]]病棟を設置したほか、[[ヘリポート]]も併設され[[山形県消防防災航空隊|県消防防災航空隊]]の[[防災ヘリ]]「もがみ」による直接搬送が可能となり、県全域を診療圏とした救急・特殊医療への対応も図られ可能となった<ref name=mainiti />。また[[2012年]]11月には県の[[ドクターヘリ]]も就航している<ref>{{cite web |title=山形県ドクターヘリ|author= |agency=|publisher=山形県立中央病院|date=|url=http://www.ypch.gr.jp/doctorheli/about/index.html|accessdate=2017-3-3}}</ref>。病棟は「東病棟」「西病棟」「[[救命救急センター]]」に分かれており、一般病棟については各階東西各々の各階にナースセンター設けられた。
 
[[1997年]]4月には3年制の[[山形県立保健医療短期大学|県立保健医療短期大学]]([[2000年]][[山形県立保健医療大学|県立保健医療大学]]に移行)が中央病院の移転開院に先立って青柳地区開学したほか、中央病院および大学周辺一帯には[[健康の森公園 (山形市)|健康の森公園]]も整備された。
 
== 診療科 ==