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'''ジョルジュ・ブスケ'''(Georges Hilaire Bousquet、[[1846年]][[3月3日]] - [[1937年]][[1月15日]])は、[[フランス]]の[[弁護士]]。[[明治]]初期の4年間(1872-1876)滞日し、『日本見聞記』を著した。
 
== 人物 ==
[[パリ]]に生まれ、[[パリ大学]][[法学部]]卒業。[[1866年]]に弁護士登録。
[[日本]]で初めての[[御雇い外国人]]。当初[[旧民法|民法]]草案の策定にかかわっていたが、[[ギュスターヴ・エミール・ボアソナード]]が来日するとその場を奪われた。[[司法省法学校]]で法学教育に力をそそいだ。
 
[[1872年]](明治5年)に訪日([[日本]]で初めての[[御雇い外国人]]。当初[[旧民法|民法]]草案の策定にかかわっていたが、[[ギュスターヴ・エミール・ボアソナード]]が来するとその場を奪われた。後は、[[明法寮|司法省明法寮]](後、[[法学校|司法省法学校]][[法学教育]]を講義した。[[1876年]](明治9年)帰国し、日本での見聞そそいだまとめた『今日の日本』(Le Japon de nos jours)を出版
==来歴==
 
1846年3月3日に[[パリ]]に生まれる。[[パリ大学]][[法学部]]卒業。[[1866年]]に弁護士登録。[[1872年]](明治5年)来日し、[[明法寮|司法省明法寮]](後、[[法学校|司法省法学校]])で[[法学]]を講義。[[1876年]](明治9年)帰国。日本での見聞をまとめた『今日の日本』(Le Japon de nos jours
)を出版。1937年1月15日永眠死去。[[モンマルトル墓地]]に埋葬された。
 
== 日本見聞記 ==
1877年に刊行した『Le Japon de Nos Jours et les Echelles de l'Extreme Orient: Ouvrage Contenant Trois Cartes』の中で、ブスケは『日本の職人』について、こう記してい{{Quotation|どこかの仕事場に入ってみたまえ。人は煙草をふかし、笑い、喋っている。時々槌をふるい、石を持ち上げ、ついでどうゆう風に仕事に取り掛かるかを論じ、それから再び始める。日が落ち、ついに時が来る。さあ、これで一日の終わりだ。仕事を休むために常に口実が用意されている。暑さ・寒さ・雨、それから特に祭りである。<ref>『ブスケ 日本見聞記 フランス人の見た明治初年の日本』〈全2巻、野田良之・久野桂一郎共訳、みすず書房、1977年〉</ref> }}既に産業革命を経ていた西洋諸国では、近代的な工場の時間労働が始まっていた。それに対し日本の職人たちは時間に縛られず、自分の感性に従って仕事をしていた。<ref>NHKスペシャル「明治」第二集 模倣と独創~外国人が見た日本~ 2005.4.16 番組内の説明より抜粋</ref>
 
また、「日本人の生活はシンプルだから貧しい者はいっぱいいるが、そこには悲惨というものはない」と書き、日本人に欧米諸国の貧困層がもつ野蛮さがないことに驚嘆しつつ、次第に失われていくことを惜しんだ<ref>[http://1000ya.isis.ne.jp/1203.html 渡辺京二『逝きし世の面影』]松岡正剛、千冊千夜1203夜、2007年10月15日</ref>。
 
== 脚注 ==
<references />