「高橋がなり」の版間の差分

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=== 学校卒業後 ===
[[神奈川県立横浜立野高等学校]]を卒業後、大学受験に二度失敗。「スーパーの店員ぐらいならなれるだろう」と、[[ダイエー]]に電話するも、「今年の募集は終わっています」と断られてしまう。この時から、高橋は自分を負け犬だと自覚する。貿易関係の専門学校を経て、負け犬である自分を戒めるため、「迷った時は厳しい道を進むべき」という信念のもと、当時、一番キツイ仕事と言われていた[[佐川急便]]にセールスドライバーとして就職<!--同社の後輩に[[ワタミ]]社長の[[渡邉美樹]]など-->。その後、テレビ番組制作会社・[[IVSテレビ制作]]へ転職。
 
IVSの先輩[[ディレクター]]であり、現在はテレビタレントとしても活躍する[[テリー伊藤]]とは師弟関係にある。「[[天才・たけしの元気が出るテレビ!!]]」ではADを務めていた。当時、師匠だったテリーから殴られたり、蹴られたりされながら、耐えて仕事をしていた。当時の給料は日給4,000円。しかし、毎日[[サービス残業]]を余儀なくされ、時給に換算すると200円程にしかならなかったという。それでも高橋は、「『逆に、テリー伊藤に高い勉強料を払って貴重な体験をさせてくれて、それでも4,000円貰える』と、自分に言い聞かせていたから耐えられた」と語る<ref>高橋著書「がなり流!」より</ref>。