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当時の文藝春秋社長[[池島信平]]は、当時[[学園紛争]]が激化しており、論壇も[[左翼]]一辺倒過ぎないかと捉えていた。そこで、看板雑誌『文藝春秋』では扱いにくい「日本人として恥ずかしくない」[[保守]]的な記事を扱える雑誌を作ろうとした。池島は「文藝春秋は売れすぎて言いたいことが言える雑誌ではなくなった、だから小数部でも言いたいことを言う雑誌を作ろう」と、『諸君!』を創刊したと述べている。
 
同様の危機感を持つ[[福田恆存]]、[[三島由紀夫]]、[[小林秀雄 (批評家)|小林秀雄]]などを中心に、前年に結成された保守系団体「[[日本文化会議]]」([[1994年]]春に解散)の機関誌『文化会議』を文藝春秋社から刊行したいと、小林秀雄と池島が交渉したが、[[新潮社]]も刊行に興味を示していることを知った池島は刊行を進めた{{Sfn|竹内|2011|p=443}}。
 
池島の当時の思い以下のようである{{Sfn|竹内|2011|p=443}}。