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世界で初めて鋼を開発したのは、[[紀元前1400年]]ごろの[[ヒッタイト]]であると考えられている。ヒッタイトは[[炭]]を使って鉄を[[鍛造]]することにより鋼を製造し<ref>「文明の誕生」p128-129 小林登志子 中公新書 2015年6月25日発行</ref>、[[アナトリア]]を中心に鉄を主力とする最初の文明を築いた。この製法は厳重に秘匿されていたものの、[[前1200年のカタストロフ]]と呼ばれる大動乱によって紀元前1190年頃にヒッタイトが滅亡すると、製鋼技術はヒッタイトを滅ぼした[[海の民]]や、[[エジプト]]や[[メソポタミア]]といった近隣の諸国へと伝播し、さらにそこから遠方へと伝わっていった。
 
[[産業革命]]以前の世界においては各国で鋼が製造されたが、なかでも最も名高かったものは[[インド]]において生産されるウーツ鋼であった。ウーツ鋼はインド国内で消費されるほか、[[中東]]方面へも盛んに輸出され、とくに[[シリア]]の[[ダマスカス]]において刀剣に加工されたものは非常に高い評価を受けていた<ref>『世界文明における技術の千年史 「生存の技術」との対話に向けて』p137 アーノルド・パーシー 林武監訳、東玲子訳、新評論、2001年6月。ISBN 978-4-7948-0522-5</ref>。このことから、ウーツ鋼は[[ダマスカス鋼]]という名前で広く知られるようになった。ウーツ鋼はるつぼによって生産されたが、1750年ごろ[[19世紀]]初頭まで生産が途絶え、現代においては製法は失伝している。日本においても[[たたら製鉄]]によって[[玉鋼]]と呼ばれる鋼が生産され、主に[[日本刀]]の原料として使用された。ウーツ鋼や玉鋼に見られるように、近代以前の世界において鋼の主な使用法は、硬度の要求される[[刀剣]]の材料としてのものであったが、16世紀以降、[[オスマン帝国]]で鋼は銃の砲身に使用されるようになり、この製法は[[ムガル帝国]]にも伝わった<ref>『世界文明における技術の千年史 「生存の技術」との対話に向けて』p138-139 アーノルド・パーシー 林武監訳、東玲子訳、新評論、2001年6月。ISBN 978-4-7948-0522-5</ref>。しかし、大量に生産することはどこの文明圏においてもできなかった。[[18世紀]]に入ると[[イギリス]]で徐々に製鋼法の改善がはじまり、1740年代には[[ベンジャミン・ハンツマン]]によってるつぼを使用して良質の鋼が作られたものの、これは量産することは不可能であった。この後も様々な鋼の生産法が開発されるものの、真に工業的に大量生産ができるようになるのにはヘンリー・ベッセマーによる1856年の転炉法の発明を待たねばならなかった。
 
== 製鋼法 ==