「シケリア戦争」の版間の差分

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===カルタゴ軍第七回遠征(紀元前345年-紀元前343年):ヒケタス・ハンノ・マゴ3世対ディオニュシオス2世・ティモレオン===
[[紀元前345年]]、シュラクサイに内紛が発生し、レオンティニ(現在の[[レンティーニ]])の[[僭主]][[ヒケタス([[:en:Hicetas of Leontini(レオンティニの僭主)|enヒケタス]]は[[ディオニュシオス2世]]のシュラクサイを攻撃した。ヒケタスはカルタゴと[[コリントス]]に援軍を求めたが、コリントスへの援軍以来は欺瞞であった。これに怒ったコリントスは[[ティモレオン]]率いる軍を派遣した。ティモレオンのコリントス軍は少数であったが、アドラノンでヒケタスに勝利した。カルタゴはハンノを司令官とする大軍を派遣し、途中でマゴに交代した。ヒケタス・マゴはシュラクサイを包囲していたが、補給路を断つためにカタナに向かった隙に、出撃したコリントス軍に包囲軍が敗退した。この後マゴは積極的な行動を行わずに撤退した。最終的にティモレオンはシュラクサイを奪取して僭主政を廃止し、民主政を復活させた([[シュラクサイ包囲戦 (紀元前343年)|第二次シュラクサイ包囲戦]])。ディオニュシオス2世はコリントスに亡命した。カルタゴに戻ったマゴは自決した。
 
===カルタゴ軍第八回遠征(紀元前343年):ハスドルバル・ハミルカル対ティモレオン===