「武田元繁」の版間の差分

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Dong1jin4 (会話 | 投稿記録)
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| 時代 = [[室町時代]]
| 生誕 = [[応仁]]元年([[1467年]])?
| 死没 = [[永正]]14年[[10月22日 (旧暦)|10月22日]]([[1517年]][[11月5日]]){{Sfn|今井尭ほか編|1984|p=324}}
| 改名 =
| 別名 = 元重、太郎左衛門{{Sfn|今井尭ほか編|1984|p=324}}、刑部
| 諡号 =
| 戒名 =
| 墓所 =
| 官位 = [[刑部省|刑部少輔]]{{Sfn|今井尭ほか編|1984|p=324}}、[[安芸国|安芸守]]
| 幕府 =
| 主君 =
| 氏族 = [[清和源氏]][[源義光|義光流]][[武田氏]]
| 父母 = 父:[[武田元綱]]{{Sfn|今井尭ほか編|1984|p=324}}
| 兄弟 = '''元繁'''、[[小河内繁継]]?
| 妻 = 正室:[[大内義興]]養女([[飛鳥井雅俊]]女)<br>後室:[[尼子久幸]]女
| 子 = '''[[武田光和|光和]]'''{{Sfn|今井尭ほか編|1984|p=324}}、[[伴繁清|繁清(伴下野守)]]?、{{要出典範囲|[[高杉春時]]?|date=2015年11月}}
| 特記事項 = {{要出典範囲|[[高杉晋作]]を出した高杉家家伝では高杉家祖と伝える。|date=2015年11月}}
}}
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元繁の討死後、安芸武田家は光和が相続した。しかし、この戦いを期に安芸武田氏は徐々に衰退し、数代後に強大化した[[毛利氏]]によって滅亡に追いやられることになる。この戦いは毛利氏、毛利元就にとって中国地方の大勢力となる分水嶺の戦いと言われ、後日、[[西の桶狭間]]と呼称されるようになる。
 
 
== 脚注 ==
<!--===注釈===-->
{{脚注ヘルプ}}
{{Notelist}}
<!--===出典===-->
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書|author1=今井尭ほか編|others=[[児玉幸多]]・[[小西四郎]]・[[竹内理三]]監修|date=1984-3|title=日本史総覧|publisher=[[新人物往来社]]|volume=3(中世 2)|id={{全国書誌番号|84023599}}|ncid=BN00172373|isbn=4404012403|asin=B000J78OVQ|oclc=11260668|ref=harv}}
 
== 外部リンク ==