「オーストラリアの歴史」の版間の差分

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地表近くの金の採取量が激減すると、岩石中に含まれる金の採取が始まった。このような形での採取は、個人の手作業ではもはや不可能であり、急速に採掘の機械化が進んだ。金採取を諦めた人々の多くは、農業を行おうにも大半の土地が既に占有されていたことから、都市に集まって職を求めた。彼らが低賃金労働に甘んじた結果、人件費が抑えられ、[[製造業]]の競争力は高まった。また、人口増加による住宅需要の高まりは[[不動産会社|不動産業]]の発展を促した。
 
オーストラリアは、世界の主要市場から遠く離れていることや水が不足していることなどにより、経済はアメリカほど急速には発展してこなかった。入植初期には[[アザラシ|海豹]]の皮革や[[鯨肉]]、羊毛などの一次産品を輸出して、工業製品を輸入する構造が続いた。しかし羊毛価格の急落や[[旱魃]]で羊毛業が打撃を受けたのに対し、ゴールド・ラッシュ以降は金のみならず、[[鉛]]、[[亜鉛]]、[[銅]]などの[[鉱業]]が発展した。これを背景に、鉄道網や電信網などの産業基盤が整備された。
 
[[第一次産業]]にも進展がみられた。ユージン・ニコル (Eugene Nicolle) らが冷凍装置を備えた輸送船を開発したことにより、食肉の輸出が盛んになった。また、ウィリアム・ファラー (William Farrer) は[[誘病]]と旱魃に強い[[コムギ|小麦]]の開発に成功した。