「李嗣源」の版間の差分

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== 生涯 ==
=== 出生 ===
出自ははっきりしないが少なくとも[[漢民族]]ではなく、いわゆる「雑胡」で、父は[[代州]]にいた遊牧民族の一首長・錫霓(錫電)<ref>『[[新五代史]]』によると「李霓」または「李電」。</ref>。若いころから武勇に優れて信望厚く、[[李克用]]の[[仮]](養子分)となり、配下の「[[十三太保]]」の1人としても知られた。当時の軍閥では有望な部下を義子として処遇することが広く行われており、嗣源もまたそのような一人であった。
 
[[契丹]]討伐や[[後梁]]討滅などにおいて活躍し、頭角をあらわした。やがて、李克用の長男・荘宗([[李存勗]])が酒に溺れて次第に政治を顧みなくなり、各地で反乱が勃発すると、その鎮圧に向かうように命じられたが、配下の軍に推されて荘宗を弑逆し、さらに反撃した荘宗の[[太子]]で魏王の[[李継岌]]の軍勢を[[渭水]]でこれを滅ぼし、推戴されて皇帝となった。