「ウラジーミル・ポルヒン」の版間の差分

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== 生涯 ==
[[1886年]][[7月2日]]、[[ロシア帝国]]{{仮リンク|リフリャント県|ru|Лифляндская губерния}}[[リガ]]に生まれ、幼少期を孤児院で過ごした<ref name="KS">{{lang|ru|{{cite web|title= ПОЛУХИН Владимир Федорович|url= http://lexicon.dobrohot.org/index.php/%D0%9F%D0%9E%D0%9B%D0%A3%D0%A5%D0%98%D0%9D_%D0%92%D0%BB%D0%B0%D0%B4%D0%B8%D0%BC%D0%B8%D1%80_%D0%A4%D0%B5%D0%B4%D0%BE%D1%80%D0%BE%D0%B2%D0%B8%D1%87|publisher= Кольский Север|accessdate= 2016-04-04}}}}</ref>。13歳から工場で電気技師として働き始め、若くして[[ロシア第一革命]]に参加<ref name="murmancity">{{lang|ru|{{cite web|title= Бюст матросу-большевику Владимиру Федоровичу Полухину|url= http://www.murmancity.com/murmansk/poluhin.php|publisher= MurmanCity.com|accessdate= 2016-04-04}}}}</ref>。[[1907年]]から[[1913年]]まで、[[バルチック艦隊]]の{{仮リンク|アドミラル・マカロフ (巡洋艦)|label=巡洋艦アドミラル・マカロフ|en|Russian cruiser Admiral Makarov}}で電気設備を担当し<ref name="KS"/>、下士官へ昇任。[[第一次世界大戦]]時には[[ガングート (戦艦)|戦艦ガングート]]に乗務するも、[[1915年]]秋の船員反乱に参加して水兵に降格され、再教育のため[[コラ半島]]の海軍基地へ送られた<ref name="murmancity"/>。
 
その後は[[ムルマンスク]]要塞で電信交換手として勤務していたが、[[2月革命 (1917年)|ニ月革命]]が発生すると最初のムルマンスク労兵ソビエトメンバー、ムルマンスク要塞地区中央委員会メンバーに選出され、[[レーニン主義]]の積極的擁護者となった<ref name="murmancity"/>。[[1917年]]5月に北極海艦隊 ([[:ru:Флотилия Северного Ледовитого океана|ru]]) 中央委メンバーとなり[[アルハンゲリスク]]へ異動、翌[[1918年]]6月には[[ペトログラード]]へ移り、{{仮リンク|ウラジーミル・アントーノフ=オフセーエンコ|ru|Антонов-Овсеенко, Владимир Александрович}}、{{仮リンク|パヴェル・ドゥイベンコ|ru|Дыбенко, Павел Ефимович}}、{{仮リンク|ニコライ・クルィレンコ|en|Nikolai Krylenko}}とともに活動した<ref name="KS"/>。11月の第1回全ロシア艦隊会議にも北極海艦隊から出席している<ref name="murmancity"/>。