「籠手」の版間の差分

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==日本の籠手==
[[File:KoteReturn gauntletsof the Samurai 38.JPG|thumb|日本の籠手(当世具足の篠籠手)]]
[[小具足]]の1つに分類される。家地(いえじ)と呼ばれる[[筒袖]]の形をした丈夫な布地に縫いつけた鉄板もしくは革で腕から手の甲まで繋がっている。親指部分手甲と呼ばれる部品で保護されているが、時代が下ると「摘手甲(つみてっこう)」と呼ばれる、手甲から独立していた親指を保護すための「大指」という部品を付けたしたものが作られた。他の指部分は露出しているものがほとんどである。これは[[和弓|弓]]を射るときに指の自由度が必要だったからと考えられている。一般的に籠手を用いる場合は[[大鎧]]を用いる上級武士は左手のみに着用し、下級武士は両手に着用することが多かったが、時代が下り戦闘様式が変化するにつれて上級武士も両手に着用するようになった
 
主に鯰籠手・筒籠手・瓢籠手・篠籠手・仕付籠手などに分類される。形状の変わったものとして左右両手部分が繋がっている指貫籠手(さしぬきごて)、肘から手の甲までの半籠手がある。
[[File:Samurai putting on kote.png|thumb|日本の籠手(指貫籠手)]]
 
この他、布地に[[鎖]]を縫いつけた「鎖籠手」もあり(『広辞苑』にも記載がある)、『[[太平記]]』巻十七「山門攻」には「[[熊野]]の兵共が指先まで鎖たる籠手をつけていた」と記述される。[[上泉信綱]]伝の『訓閲集』(大江家兵法書を戦国風に改めた兵書)巻八「甲冑・軍器」の記述によれば、弓小手の場合は鎖を用いないとする。
[[File:Kote gauntlets.JPG|thumb|日本の籠手(半籠手)]]
 
武士によっては、籠手に多くの筋金を入れて[[盾]]代わりとしており、[[野口一成]]はある剣客との仕合で[[木刀]]を左腕で受け止め、右手の木刀で突き倒したところ、「腕で受ける剣術というものはない」と冷笑されたため、具足櫃から籠手を取り出して見せたが、その籠手には多くの太刀痕が残っていたとされる<!-- [[中里介山]] 『日本武術神妙記』 [[角川ソフィア文庫]] 2016年 p.241. -->。
 
著名なものでは、「義経籠手」の異名を持つ鎌倉時代末期の鯰籠手が、[[春日大社]]に所蔵されている(重要文化財)。
 
==西洋甲冑の籠手==